新年のご挨拶と、メインブログをFC2に変更するお知らせ
今年は喪中につき祝辞は控えさせていただきますが、旧年中は、拙い私のブログにお付き合いいただきまして まことに有難うございました。また多くの方から励ましのお言葉やご感想、貴重なご意見などを頂戴し、このブログの中で様々な対話が出来たことがとても楽しく、また励みにもなりました。何度も訪問して頂いた方や、私の記事にリンクして頂いた方、ランキングの応援をして頂いた方、ご自身のブログやツイッターなどで記事の紹...
政府中枢にいてソ連に忠誠を尽くそうとした『軍国主義者』たち~~ポツダム宣言5
前々回の記事で、昭和3年(1928)5月24日付のプラウダ (ソ連共産党機関紙)に、日本の陸海軍の軍人に対し「諸君は陸海軍両方面より、先ず反動勢力を打破し、而して支那を革命助成する為め、その内乱戦を国際戦に転換せしむるよう不断の努力を怠る勿れ」と書いていることを紹介した。このような記事がプラウダに掲載されていたということは、昭和初期には日本軍人の中に、ソ連の共産主義に共鳴するメンバーが少なからずいたと考えるべ...
『玉音放送』を阻止しようとした『軍国主義』の将校たち~~ポツダム宣言6
このシリーズの3回目に、昭和天皇の御聖断でわが国が『ポツダム宣言』を受諾することが決まった経緯について書いた。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-292.htmlしかしながら、わが国はこの御聖断によりすんなりと終戦に向かったのではなかったのだ。今回は、昭和天皇の二度にわたる御聖断とその後の動きについて、寺崎英成ら昭和天皇の側近が昭和21年の3月から4月にかけて天皇から直々に聞きまとめたとされる記録(...
昭和20年8月15日に終戦出来なかった可能性はかなりあった~~ポツダム宣言7
前回の記事で、阿南陸相の義弟である竹下中佐らが、陸軍大臣らの許可を得て兵力を使用し、昭和天皇および和平派を軟禁拘束して、玉音放送を妨害して戦争継続の方向に導くことを計画したことを書いた。この計画に賛同するメンバーは決して少数ではなかった。森 赳(たけし)近衛師団長は蹶起することに反対していたが、近衛師団参謀長の水谷一生、参謀の古賀秀正、石原貞吉も、竹下中佐らの仲間に入ることを約束していた。古賀は東条...
国内で徹底抗戦と言いながらソ連参戦後すぐに満州を放棄した日本軍~~ポツダム宣言8
前回および前々回の記事で、8月14日の御前会議で『ポツダム宣言』を受諾し戦争を終結させることが決定したのだが、陸軍のエリート将校たちは昭和天皇による『玉音放送』を阻止して、戦争の継続に導こうとするクーデターを起こしたことを書いた。(宮城事件)彼らはクーデターに反対した近衛第一師団長森赳(たけし)中将と森の義弟の白石通教(みちのり)第二総軍参謀長を殺害し、師団長命令を偽造して近衛歩兵第二連隊を用いて宮城(皇居...
帝国陸軍の左傾化と阿南陸相の自決との関係~~ポツダム宣言9
前回まで『ポツダム宣言』受諾をめぐるわが国の動きを中心に書いてきたが、昭和天皇による『御聖断』のあとに、陸軍の異常な動きが際立っていることが理解して頂けたと思う。彼等の動きを見ていると、陸軍の中枢にはわが国の敗戦を機に、陸軍主導で共産主義革命を起こそうとしたメンバーがかなりいたと考えざるを得ないのだ。一番わかりやすいのは、関東軍だろう。以前このブログで、関東軍が独断で実行したことになっている昭和3...