北清事変で北京制圧の後に本性を露わにした「文明国」の軍隊
義和団と清兵に取り囲まれた4000人の籠城者を救出するために、わが国は再三にわたる英国の要請を受け、列国の承認のもとで第五師団を派兵した。すでに各国の連合軍は天津城を完全占拠していたのだが、そこで師団主力の集結を待って、8月4日に天津を出発し北京籠城組の救出の途に就いた。連合軍の総兵力は二万二千人と言われ、その半数近くは日本兵だったという。対する清朝軍と義和団は兵の数は多かったが、装備という点では「在来...
義和団による暴動を、満州占領のチャンスととらえたロシア
義和団は北京や天津だけで暴動を起こしたわけではなく、清の朝廷が彼らを義民として庇護したことからたちまち勢力範囲を拡げて、満州地区にも波及していった。かねてから満州全域への進出を狙っていたロシアは、建設中の東支鉄道(東清鉄道ともいう)保護を名目にシベリア方面と旅順から大軍を送り込み、1900年7月13日から満州侵攻を開始したのだが、このタイミングに注目したい。前回まで2回に分けて北京の公使館区域が義和団と清兵...
日露開戦を決定したわが国の首脳に、戦争に勝利する確信はあったのか
明治37年(1904)2月4日の御前会議で対露断交と開戦を決定したのだが、その御前会議が終わった後の夕刻6時に、枢密院議長・伊藤博文は、金子堅太郎を官舎に呼び寄せて、「これから直ぐにアメリカに行ってもらいたい」と告げたという。国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』に金子堅太郎本人が口述した『日露戦役秘録』という本が公開されているが、この時の金子堅太郎と伊藤博文の会話を読んでいると、この時期のわが国の状...
なぜ米国は日露戦争開戦当初から日本の勝利を確信したのか
前回の記事で、日露戦争開戦を決断した直後に伊藤博文がセオドア・ルーズベルト米大統領と親しい金子堅太郎を呼んですぐに渡米することを強く要請し、実際に金子がアメリカに渡り大統領に会うと、米大統領が「今度の戦いは日本が勝つ」と明言したことに金子が驚いたことを書いた。大統領は日本が勝利する理由を詳細には述べなかったが、参謀本部や海軍兵学校長に日露の戦力や様々な情勢を詳細に調べた上での結論のようなのだが、で...
日露戦争の原因となったロシアの朝鮮侵略をけしかけた国はどこの国か
前回及び前々回の記事で金子堅太郎の『日露戦役秘録』を紹介したが、この本を読むと、アメリカは日露戦争に重大な関心を持ち、日本が戦争に勝つために裏で動いていたことが見えてくる。そもそもロシアのような大国が戦争を始めようとすれば、欧米列強だけではなく周辺諸国が多大な影響を受けることになることは誰でもわかる。それぞれの国が、どちらの国が勝つかを予測した上で、自国の国益の為にその戦争にどう対処すべきかを考え...
乃木将軍は「愚将」であったのか
明治37年(1904)5月1日、留守近衛師団長であった乃木希助中将が宮中に参内し、翌日に第三軍司令官に任ぜられた。第三軍の任務は、ロシアの極東進出の最先端であり最大拠点でもある旅順の奪取にあった。参謀長には陸軍切っての砲術の権威と言われた伊地知幸助少将が命ぜられている。日清戦争に勝利したわが国は、下関条約で遼東半島、台湾、澎湖諸島などを獲得したのだが、遼東半島は露独仏の三国干渉により遼東半島は一旦清に返還さ...