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しばやんの日々

江戸幕府がポルトガルと断交した後に海外貿易高は増加した

Wikipediaによると「鎖国とは、江戸幕府が日本人の海外交通を禁止し、外交・貿易を制限した対外政策である。ならびに、そこから生まれた孤立状態を指す。実際には孤立しているわけではなく、李氏朝鮮及び琉球王国とは『通信』の関係にあり、中国(明朝と清朝)及びオランダ(オランダ東インド会社)との間に通商関係があった。」と記している。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%96%E5%9B%BDこの記述は、学生時代に「鎖国」を学んだ...

シーボルトが記した「鎖国」の実態を知れば、オランダの利益の大きさがわかる

出島は寛永13年(1636)に、ポルトガル人を収容させるために長崎の港内に人工的に造られた埋立地だが、ポルトガル船の日本への渡航が禁止されたのち、平戸にあったオランダ商館が移されて、寛永18年(1641)にオランダ人の居住地となった。島の形状は縦65メートル、横190メートルの扇形で、面積は1.3ヘクタール程と狭く、その島にカピタン(商館長)の住まいのほか、商館で働く人々の住宅や乙名部屋、通詞部屋、札場、検使場、倉庫、番所...

文化財の宝庫・室生寺とそのルーツを訪ねて

室生寺のことを調べていると、久しぶりに奈良に行きたくなって、先日、室生寺にゆかりのある寺社と、私が訪ねたことのない近くの奈良の古い寺社などをおりまぜて、1泊2日で周ってきた。朝早く自宅を出て、最初に訪れたのは室生寺の末寺である大野寺(おおのじ:0745-92-2220)。かつては室生寺の西の大門とも呼ばれていたという寺だ。寺伝によるとこの寺は、白鳳9年(681年)に役小角(えんのおづぬ)により創建され、天長元年(824)に...

長谷寺、宇太水分神社、片岡家住宅を訪ねたのち洞川温泉へ

室生寺のルーツである「龍穴」を訪ねた後、次の目的地である長谷寺(はせでら:0744-47-7001)に向かう。室生の龍穴からは30分ぐらいで辿りつく。参道の入り口あたりに車を駐車して、門前町の賑わいを感じながら歩いていくと、正面の石段の上に仁王門が見えてくる。現在の建物は明治27年(1894)に再建されたもので、扁額の「長谷寺」の題字は、後陽成天皇の御宸筆だという。長谷寺は朱鳥(あかみどり)元年(686)に、天武天皇の病気平癒...

修験道の聖地・龍泉寺から天川弁財天神社、丹生川上神社下社を訪ねて

翌朝は雨が降っていたのだが、せっかく来たので朝食前に龍泉寺(りゅうせんじ:0747-64-0001)に出かける。伝承によると役小角(えんのおづぬ)が大峯山で修業中に洞川に降りて泉を発見し、「龍の口」と名付けて小堂を建て、八大龍王尊を祀ったのがこの寺の起源とされている。龍泉寺の境内には「龍の口」と呼ばれる泉から清水が流れ出ていて、大峯山に登る修験者達はここで水行して身を清めて、八台龍王尊に道中安全の祈願をして山に入...

日本百名城の一つである高取城址から壺阪寺を訪ねて

丹生川上神社下社を参拝した後、道の駅で昼食を済ませて、「日本百名城」の一つであり、「日本三大山城」の一つである高取城の城址に向かう。高取城は標高583メートルの高取山山上に築かれた山城で、Wikipediaの解説によると「曲輪の連なった連郭式の山城で、城内の面積は約10,000平方メートル、周囲は約3キロメートル、城郭全域の総面積約60,000平方メートル、周囲約30キロメートルに及ぶ。日本国内では最大規模の山城で、備中松...