高松塚から奈良県最大の廃仏毀釈のあった内山永久寺の跡を訪ねて
前回の記事で『藤原京の聖なるライン』のことを書いた。すなわち壷阪寺は藤原京の中心道路である朱雀大路の延長線上にあり、そのライン上に天武・持統天皇陵や高松塚古墳・キトラ古墳など天武朝の皇族に関係する古墳が点在する。壺阪寺の後は、ほぼ聖なるライン上にある高松塚古墳を訪れるため、国立飛鳥歴史公園館(0744-54-2441)に向かう。飛鳥歴史公園は5地区からなり、その中心が高松塚周辺地区で、公園の入園料も駐車場料金も...
明治5年の修験道廃止で17万人もいた山伏はどうなった
前回まで、奈良県の修験道の聖地などを周ってきたことをレポートしてきた。修験道は仏教でも神道でもなく、日本古来の山岳信仰と、仏教の密教、道教、儒教などが結びついて平安時代末期に成立した宗教なのだが、霊験を得るために山中の修行や加持祈祷、呪術儀礼を行なう者を修験者、または山に伏して修行する姿から山伏とも呼ばれている。修験道は神仏習合の信仰であり、日本の神と仏教の仏(如来・菩薩・明王)がともに祀られてきた...
日本百名城の一つである小諸城址から龍岡城跡、新海三社神社を訪ねて
高校時代の教科書に島崎藤村の『千曲川旅情の歌』が出ていて、リズムが良いので何度も口ずさんだ記憶がある。「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子かなしむみどりなすはこべはもえず 若草も藉くによしなし…」藤村が歌った小諸城址とはどんな場所なのか、ずって前から行って見たいと思っていたのだが、たまたま藤村とゆかりのある中棚旅館が予約できたので、長野県に行くついでに、修験道とかかわりのある社寺などをおりまぜて...
苔むした美しい寺・貞祥寺と島崎藤村ゆかりの中棚温泉
新海三社神社の神仏習合の景観を楽しんだのち、次の目的地である貞祥寺(ていしょうじ:0267-62-0325)に向かう。貞祥寺は室町時代の大永元年(1521)に前山城主の伴野貞祥が、祖父と父の追善のため開基した曹洞宗の古刹である。古い参道には苔が密生していて、その先にはこの寺最古の建造物である惣門(長野県宝)がある。惣門を潜ると、増長天と持国天の仁王を左右に配した茅葺の山門(長野県宝)が見える。山門中庭は樹齢450年と言われ...
智識寺、荒砥城址のあと、修験道の聖地であった戸隠三社を歩く
長野旅行の2日目は中棚温泉から千曲市にある智識寺(026-275-1120)に向かう。この寺の縁起は古く、寺伝では天平年間(729~749)に冠着山(かむりきやま)の東麓に創建され、その後の移転あと、鎌倉時代に源頼朝の帰依により現在の場所に移ったとされている。上記画像は室町時代後期に建立されたとみられる大御堂(国重文)である。本尊は平安時代末期に造られた木造十一面観音立像(国重文)だが、残念ながら中に入ることは出来なかった。...