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しばやんの日々

白馬落倉高原の風切地蔵、若一王子神社、国宝・仁科神明宮などを訪ねて

白馬落倉高原の朝を迎えて、いい天気なので朝食までの時間に高原の散歩に出かけることにした。ペンションで貰った地図を片手に歩き始めたのだが、野鳥のさえずりや川のせせらぎの音を聴き、景色を楽しみながら歩く高原の散歩は心地の良いものである。しばらく東に進んでいくと、白馬岳の大雪渓が見えてきた。訪れた日はまだ梅雨明け宣言が出ていなかったのだが、こんなにきれいに晴れ渡った空を背景にして、白馬連峰の写真が撮れた...

アメリカは当初、京都を原爆投下の第一のターゲットにしていた

私は京都に生まれて京都で育ったが、子供の頃に何度となく「京都の文化遺産を守るために、アメリカは京都の空襲を控えた」という話を聞かされていて、単純にそう信じていた。しかし、ネットでいろいろ調べると、京都でも昭和20年(1945)に何度かアメリカ軍による無差別爆撃がなされていることがわかる。ネットでは諸説があり、あるサイトでは空襲回数は合計20回を超え、死者302人、負傷者561人と書いているのだが、残念ながらそのサ...

戦勝国による「歴史の書き替え」が始まった

8月8日付の産経新聞にこんな記事が掲載されていた。「ロシアが、米国による広島、長崎への原子爆弾投下を『犯罪』として糾弾する動きを強めている。米国を唯一の『非人道的な使用国』と宣伝することで自国の核保有を正当化し、さらに日米の分断を図る思惑が見える。『米国の原爆でなく、ソ連の対日戦争こそが第二次世界大戦を終結させた』と主張し、日ソ中立条約を破った事実をかき消そうとする論調も目立つ。 プーチン露大統領に...

ソ連占領下から引揚げてきた日本人の塗炭の苦しみを忘れるな

昭和20年8月15日の玉音放送によりわが国の降伏が国民に公表されたのだが、全面的な戦闘行動の停止が行なわれるまでには少し日数が必要だったようだ。Wikipediaには、こう解説されている。「1945年8月15日、大本営は陸海軍に対して『別に命令するまで各々の現任務を続行すべし』と命令し、8月16日に自衛の為の戦闘行動以外の戦闘行動を停止するように命令した。さらに8月18日には、全面的な戦闘行動の停止は、別に指定する日時以降...

なぜ中国大陸に大量の日本人孤児や婦人が残されたのか

前回の記事で、ソ連が対日参戦したため満州(現在の中国東北地方)から引き揚げてきた日本人の悲劇の事を書いた。民間人を銃殺したり強姦したりしたソ連軍に非があることは言うまでもないが、日本人としては、関東軍がソ連の対日参戦直前に南方に移動したことが許せない。なぜ関東軍は、満州国境で民間人を護らなかったのか。ソ連が参戦した8月9日に日本陸軍が、最初に発した命令はこのようなものであった。「大陸命第千三百七十四号...