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しばやんの日々

アッツ島、キスカ島を占領する目的はどこにあったのか~~『キスカ戦記』を読む1

京都にいる親しい友人から、近所に「キスカ島撤退作戦」を体験した中村さんという方がおられるとの情報が入り、その方の話を友人と一緒に聞くことになった。中村さんは大正14年(1925)のお生まれで91歳という高齢ではあるが、大変お元気で、言葉もしっかりしておられたのに驚いた。2時間近くお話を伺ったが、私にとってはこんなに長時間にわたって戦争の体験談を直接聞いたのは初めての経験で、いろいろ勉強になることが多かった。...

ミッドウェー海戦大敗後、キスカ島上陸に意味はあったのか~~『キスカ戦記』を読む2

アリューシャン列島の西部にあるキスカ島、アッツ島等の攻略はミッドウェー作戦と同時に行われた。キスカ上陸作戦の前に、第二機動部隊によるダッチハーバー航空攻撃が昭和17年6月4・5日に行われ、日本軍は七機を失ったが、米軍の哨戒飛行艇PBY六機、陸軍重爆B26、B17三機、P40戦闘機二機を葬っている。しかしながら、前回の記事の最後に触れたとおり米軍は日本軍の暗号電文を解読しており、アリューシャン方面には最低限の戦力を...

キスカ上陸後、すぐに米軍の反撃が始まった~~『キスカ戦記』を読む3

前回は昭和17年(1942)6月7日に日本軍がキスカ島に無血上陸したことを書いたが、米兵がいなかったわけではなかった。上陸後2名がすぐに捕まり、残りの8名も大浜海岸に投降してきて捕虜としたが、全員戦意はなかったという。上陸したのち、すぐに機材の陸揚げがはじまったのだが、これが大変だったようだ。海軍大尉の柿崎誠一氏の手記によると、「揚陸海岸はたちまち物資の山となり、それを内陸に運ぼうにも湿地のため堅固な道路を開...

補給に苦しみながら敵の上陸を許さなかったキスカ島の兵士たち…『キスカ戦記』を読む4

キスカ島の防衛のためには、航空戦力が不可欠であることぐらいはわかっていたはずなのだが、わが国には航空部隊や航空機を北方に差し向ける余裕はなかった。米国はアムチトカ島に航空基地を完成させると、それ以降米軍機によるキスカ島への空襲が激しさを増すことになる。『キスカ戦記』にはこう解説されている。「キスカ在舶艦船を主な攻撃目標にしていた米航空機は、在舶艦船がいなくなり、わが航空兵力が逼塞すると見るや、対空...

潜水艦によるキスカ島守備隊撤収が途中で中止された理由…『キスカ戦記』を読む5

前回の記事で書いた通り5月20日にキスカ守備隊の撤退が決定し、翌日に陸海軍中央協定で、キスカ島の撤収につき次のように定められたという。「鳴神(キスカ)島守備隊は成るべく速やかに主として潜水艦に依り逐次撤収に努む。尚海霧の状況、敵情等を見極めたる上状況により輸送船、駆逐艦を併用することあり。」そしてこの撤収作戦は「ケ号」作戦と名付けられたという。『キスカ戦記』の解説にはこう記されている。文中の幌筵(ほろむ...

キスカ島を目前にして撤収部隊は北千島に引き返していった……『キスカ戦記』を読む6

前回の記事で、潜水艦によるキスカ守備隊の撤退は効率が悪い上に3隻もの貴重な潜水艦を失ってしまったため、水上艦艇による一挙撤収に方針が変更されることとなったのだが、この作戦が成功するためには、キスカ島周辺に視界がゼロに近い濃霧が発生することと、艦隊にレーダー装備が必要であったことを書いた。『キスカ戦記』の解説にはこう記されている。文中の「電探」とは、「電波探信儀」の略語で、「レーダー」のことである。...