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しばやんの日々

キスカ守備隊員の手記による奇跡の完全無血撤退作戦成功……『キスカ戦記』を読む7

前回の記事で、キスカ島守備隊の兵士たちは7月11日から14日まで4回もキスカ湾に集結して撤収部隊の到着を待ったのだが、一度もその艦影を見ないままに作戦の一時中止が伝えられ、艦隊は燃料補給の為に反転して北千島に帰っていったことを書いた。撤収部隊がキスカ島に接近していながらキスカ湾への突入を断念したのは、途中で霧が晴れたために空襲に遭う危険性が高まったことがその理由だが、もし霧が深かったとしても、霧を見通す...

艦隊乗艦員の手記によるキスカ島守備隊撤退作戦……『キスカ戦記』を読む8

前回はキスカ島守備隊の兵士たちの手記を中心に紹介したが、今回は守備隊撤収のためにキスカ湾に突入した艦隊乗艦員の手記を紹介することにしよう。第1回目は、「6月25日、キスカは霧」という艦隊気象長の天気予報を信頼して、6月22日に全艦隊が北千島にある幌筵(ほろむしろ)を出撃したのだが、幌筵からキスカ島までは直線距離で1500kmも離れている。気象衛星など最新機器を用いた今日の天気予報でも、数日先の天気などはあまり当...

無人のキスカ島に上陸した米軍に多くの死傷者が出た事情……『キスカ戦記』を読む9

昭和18年7月29日、濃霧の中でキスカ島守備隊の撤収作戦が敢行され、艦隊は守備隊5183名全員を収容後キスカ湾を全速で離脱し、その後も深い霧に包まれて無事に空襲圏外に無事に脱出して、7月31日から8月1日にかけて北千島の幌筵(ほろむしろ)に全艦無事に帰投している。一方、米軍はキスカ島守備隊が撤退したことを把握していなかった。前回記事にも書いたが、7月27日の夜に米艦隊が、レーダーの誤反応を日本艦隊と見間違え、濃霧の...

紅葉を訪ねて播州清水寺から生野銀山へ

紅葉の美しい季節となったので、今年も紅葉名所などを訪ねながら日本海に向かうドライブツアーを企画して先日行ってきた。近年外国人観光客が激増して有名な社寺は駐車場待ちとなるリスクがあり時間のロスが大きくなるので、今年は、あまり有名でない寺社を中心に計画を立てていた。最初に訪れたのは兵庫県加東市にある西国三十三所巡礼観音霊場第二十五番札所の清水寺(0795-45-0025)。上の画像はその仁王門である。この寺の建物は...

明治維新の魁(さきがけ)とされる生野義挙のこと

旧生野鉱山職員宿舎から西に400mほど歩くと生野小学校があり、その南東隅に『生野義挙跡』の石碑(市指定文化財)が建っている。以前このブログで文久3年(1863)8月に奈良で起きた『天誅組の変』のことを書いたが、『生野義挙』というのは、『天誅組の変』の2カ月後に尊王攘夷派が挙兵した事件をいう。いずれも明治維新の魁(さきがけ)ともよ呼ばれる事件なのだが、教科書などでは何も書かれていない。たとえば、『もういちど読む 山...