2017年 新年のご挨拶
あけまして おめでとうございます 旧年中は、拙い私のブログにお付き合いいただきまして まことに有難うございました。多くの方から励ましのお言葉やご感想、貴重なご意見などを頂戴し、このブログの中で様々な対話が出来たことがとても楽しく、また励みにもなりました。 何度も訪問して頂いた方や、私の記事にリンクして頂いた方、ランキングの応援をして頂いた方、ご自身のブログやツイッターなどで記事の紹介をしていただいた...
なぜ資力の乏しい長州藩が、グラバーから最新鋭の武器を大量に入手できたのか
先日このブログで、慶応元年(1865)に幕府が第二次長州征伐の軍を起こし、14代将軍家茂が大坂城に入って大本営とした頃に、長州藩では大量の武器弾薬を上海ルートから密輸入して戦争準備を進めたことを書いた。アメリカの南北戦争が終わって用済みとなった大量の最新鋭武器が、「死の商人」たちによって次の紛争地である中国に集められ、さらに幕末の日本にも流れて行ったわけなのだが、この第二次長州征伐の戦争準備のために長州藩...
江戸幕末におけるイギリスの対日政策と第二次長州征伐
前回の記事で江戸幕末期におけるイギリスの首相がパーマストン子爵であったことを書いたが、この人物は三度外務大臣を務めたのち二度首相を勤め、二度目の外務大臣ときには清国に介入してアヘン戦争を引き起こし、第一次パーマストン内閣(1855~1858)の時にはアロー号事件で清国に対する武力行使を容認して北京を占領し、アロー号戦争中の1858年8月には、天津条約締結で一時暇になっていた英国艦隊を日本に派遣し、「応じないなら5...
薩長を支援したイギリスに対抗して江戸幕府に接近したフランス
元治元年(1864)3月にフランスの新公使ロッシュが日本に着任した。この人物は、前任のド・ベルクールがイギリス追随であったのに対し、イギリスと対抗しようとする姿勢で臨んでいる。【フランス公使 ロッシュ】鈴木荘一氏の『開国の真実』にこう解説されている。「ロッシュは、着任早々、幕府首脳陣に対し、『アヘン戦争がはっきり示しているように、イギリスは工業製品の市場を拡大するためには他国を侵略して顧みない。これにひ...
フランスの指導により近代的陸軍を整えながら徳川慶喜はなぜ大政奉還したのか
前回の記事で、フランス公使ロッシュの献策により、慶応3年(1867)5月に朝議の場で徳川慶喜が兵庫開港の勅許を得、井伊大老の調印した通商条約の不備を補完して対外公約を果たし、これにより幕府は、諸外国から苛烈な要求をする原因を封じることに成功したことを書いた。徳川慶喜はその2ヶ月前に大坂で各国の公使と謁見しその席で兵庫開港を確約したのだが、この時の慶喜は各国公使に好印象を与え、これまで討幕勢力を支援してきた...