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しばやんの日々

農民たちが帯刀していた時代と秀吉の刀狩令

前回の記事で、凶作と飢饉が相次いだ戦国時代に、農民たちは「足軽」として雇われて戦場に行き、戦場では掠奪暴行を働いてそれを稼ぎとしていたことを書いた。このブログで何度か紹介した『真如堂縁起絵巻』には戦場で稼ぐ足軽たちが描かれているが、この絵巻のほかにも、彼らが武器を用いて寺社だけでなく村の人々を脅して食糧や家財などを奪い取っていたことが数多く記録されている。当然の事ながら、何度かこのような被害を受け...

刀狩令の後も村に大量の武器が残されていながら、村を平和に導いた秀吉の智慧

前回の記事で、天正十六年(1588)七月に出された秀吉の刀狩令によってすべての農民の武器を没収されたわけではなく、現実には大量の武器が村に残されていたことを書いた。藤木久志氏によると、「百姓の帯刀権や村の武装権の規制として」刀狩りが行なわれたが、「村の武力行使を制御するという秀吉の意図は、刀狩令とはまったく別のプログラムに委ねられた。村の武器を制御するプログラムは、村の喧嘩停止令(けんかちょうじれい)が担...

藤の咲く季節に、日野町の歴史と文化を楽しんで

先日、滋賀県蒲生郡日野町に行ってきた。日野町にはいろいろ行きたいところがあって、どうせ行くのならこの季節にと決めていた。桜や紅葉の時期も候補に考えていたが、この町には樹齢300年の有名な藤の咲く寺がある。その藤が見頃を迎えたので最初にその寺に向かうことにした。その寺の名前は、正法寺(滋賀県蒲生郡日野町鎌掛(かいがけ)2145 ☎0748-52-4422)で、「藤の寺」とも呼ばれている。正法寺は奈良時代に行基が開基したとさ...

蒲生氏郷が生んだ日野商人の豊かさ

前回の記事で、馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)の春の例祭で八百年以上の歴史ある日野祭のことを書いた。この祭りで引き出される曳山や神輿が豪華絢爛で、これらは日野商人達の財力によって贅の限りをつくして作られたものだという。またこの神社の拝殿は日野商人中井源左衛門が享和三年(1803)に寄進したものであり、本殿も「氏子」の寄進により建造されたとある。また日野町松尾ある正明寺(しょうみょうじ)に行くと、...