尼港事件の大惨事を教科書やマスコミはなぜ伝えないのか
前回の記事で、ソ連が「世界革命を推進」するためにコミンテルン(第三インターナショナル)を結成し、世界各国で様々な工作活動を行い、西欧諸国の共産化が失敗した後は工作活動の矛先を東洋に向けてわが国もそのターゲットにされていたことが、戦前のわが国の新聞記事で具体的な事例を多数確認できることを紹介した。前回は昭和3年(1928)以降のわが国に対する工作活動を中心に記事に書いたが、そればかりではなく極東における「世...
貧家に生まれた岩崎彌太郎が三菱財閥を創業した経緯
「スリーダイヤ」の三菱のマークを知らない日本人はほとんどいないと思うのだが、戦後GHQが財閥解体を行うまでは、三井財閥・三菱財閥・住友財閥は三大財閥と呼ばれていた。三大財閥のうち三井、住友の両家はそれぞれ300年以上の商家としての歴史があり富の蓄積があるのに対し、三菱は明治期の動乱期に、創業者の岩崎彌太郎が政商として巨万の利益を得てその礎を築いたとされる。三菱グループのホームページに『岩崎彌太郎物語』が...
幕府瓦解後に進行した江戸の荒廃と、政府転覆を目論む勢力の拡大を食い止めた東京遷都
以前このブログで、明治2年(1869)に『遷都の詔勅』が出されないまま「東京遷都」が強行されたことについて、京都を中心に書いた。教科書では東京遷都について、「人心を一新するため、同年(1869)9月、年号を明治とあらため、天皇一代のあいだ一年号とする一世一元の制をたてた。同年7月、江戸は東京とあらためられ、明治天皇が京都から東京に移ったのをはじめ、翌年には政府の諸機関も東京に移された。」(『もういちど読む 山川日...
天誅組河内勢に関わる史跡と富田林市寺内町の美しい町並みを訪ねて
大阪府の富田林市とその周辺は先史時代より人々の暮らしが営まれていた地域で、大和川支流である石川を望む丘陵上には氏族の首長たちの古墳が数多く残されており、古い歴史を持つ神社や寺があるほか、近世の寺内町など数多くの文化財が残されている。特にこの地域には南朝や、天誅組に関わる寺社などが多いことに興味を覚えて、先日富田林市、河内長野市、千早赤阪村を巡ってきた。最初に訪れたのは、美具久留御魂神社(みぐくるみ...
後醍醐天皇を支えた武将・楠木正成にまつわる南河内の史跡を訪ねて
富田林寺内町の散策を終えて、滝谷不動(富田林市大字彼方1762 ☎0721-34-0028)に向かう。滝谷不動は通称で『滝谷不動明王寺』というのが正式な寺の名称なのだが、寺伝によると弘仁12年(821)に弘法大師が創建したと伝えられ、造営当初は今よりも約1km離れた嶽山(だけやま)の中腹にあり、広壮優美な堂塔・伽藍が整えられていたという。南北朝時代に楠木正成が嶽山城を築城した際は、滝谷不動明王寺本尊の不動明王をその城の守護仏と...