明治時代の自虐史観と、「開発」行為による文化・景観破壊
慶応四年(1868)三月十四日に、明治天皇は京都御所紫宸殿に公卿・諸侯以下百官を集め、明治維新の基本方針である、五箇条の御誓文を神前に奉読されている。一.広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ。一.上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ。一.官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦マザラシメンコトヲ要ス。一.旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ。一.智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ。いつの時代にせよこのよ...
明治政府にとって「徴兵制」のハードルは高かった
教科書などでは、明治4年(1871)の「廃藩置県」について、明治政府は薩長土三藩から御親兵を募り中央集権を固めたうえで、藩を廃して県と呼び、知藩事(旧藩主)を失職させて東京への移住を命じ、各県には知藩事に代わって新たに県令を中央政府から派遣したことが記されている。この廃藩置県を断行するということは、国の防衛のありかたを根本的に見直さざるを得なくなるのだが、その点については明治政府内で様々な議論があったよう...
越前和紙で栄えた地域の歴史と文化と伝統の味を楽しむ~~越前の歴史散策1
越前市は品質、種類、量ともに全国一位の和紙生産地として知られているが、この地における和紙作りには1500年という長い歴史があるのだという。そして、和紙生産の中心地である5つの集落(新在家町、定友町、岩本町、大滝町、不老町)を昔から五箇(ごか)と呼び、その大滝町にこの地に紙の製造法を伝えたとされる川上御前(かわかみごぜん)が祀られている神社がある。この神社には立派な社殿があるだけでなく神仏習合の行事が今も行...
継体天皇ゆかりの足羽山から紅葉名所の大安禅寺へ ~~越前の歴史散策2
昼食のあと福井市の足羽山(あすわやま)に向かう。前回の記事で越前和紙の歴史は、第26代の継体天皇が男大迹王(おおとのおう)として越前を治めていたころから始まることを書いたが、足羽山には継体天皇にまつわる神社などがある。『日本書紀 巻十七』には継体天皇の出自に関して次のように記されている。文中の男大迹天皇(おおどのすめらみこと)は継体天皇のことである。「男大迹天皇――またの名は彦太尊(ひこふとのみこと)――は、応...
瀧谷寺から越前海岸の景勝地と北前船で栄えた河野浦を訪ねて~~越前の歴史散策3
翌朝、お世話になった三国の民宿をチェックアウトし、近くの東尋坊に向かう。東尋坊を構成する岩は、輝石安山岩の柱状節理で、最も高いところで約25mの垂直の崖があるという。これほどの規模のものは世界的にも珍しく、国の天然記念物に指定されている。朝早くここを訪れたのは初めてだが、商店などの営業が始まる前は観光客もわずかで、静かに景観を楽しむには良い時間帯である。東尋坊の景観を楽しんだ後に、瀧谷寺(たきだんじ:...