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しばやんの日々

西洋流の立身出世主義教育を憂いた明治天皇と教育勅語

「文明開化」の名のもとに、明治初年のわが国で極端な欧化主義的な考え方が支配したことはこのブログで何度か書いてきた。わが国が近代国家として西欧の侵略主義に対抗するためには、西欧の技術や科学や文化などをそのまま取り込んで自分のものとして利用していくこともある程度は必要であったろう。しかしながら、昔からの伝統文化や風習などを否定して多くを破壊し、なんでもかんでも西洋のやり方をまねようとする政府のやり方に...

完成したばかりの巡洋艦『畝傍』が日本に向かう処女航海で行方不明となったこと

明治十九年(1886年)にフランスで建造された日本海軍軍艦の畝傍(うねび)は、当時としては最新式の巡洋艦で、十月に竣工したのち日本に向かうのだが、その途中で行方不明となってしまった。平田晋策著『新戦艦高千穂』という本を読むと、この畝傍という軍艦がいかに期待されていたかがよくわかる。「明治十九年。その頃の日本海軍は、実に貧弱な海軍だった。第一線に立って戦闘の出来る軍艦は、三千七百トンの海防艦『扶桑』(一代目)...

政府が欧風化を推進した文明開化の時代に、国産品を奨励した僧侶・佐田介石

技術進歩の激しい時代には、新技術をいち早く導入した者が、多くの人々の仕事を奪い取って失業させることになる。それはある程度やむを得ないものではあるのだが、その変化が激しすぎると各地で内乱が起こったりして治安が不安定となる。教科書などには何も記されていないのだが、明治政府の相次ぐ革新的な施策に反発していたのは武士だけでなく、農民や一般市民も同様であった。そのことは、このブログで何度も紹介している『新聞...

わが国ではじめて石油を製造した石坂周造の物語と、国産石油製造の重要性

わが国の石油消費量のほとんどは中東などから輸入されているが、わずかながらわが国でも秋田県や新潟県を中心に生産が行われており、国内生産量は2016年で55万キロリットルで国内消費量の0.13%にすぎないのだそうだ。しかしながらわが国で「石油」の存在に関する記録は、7世紀の天智天皇の時代にまで遡るというから驚きである。明治三十九年に出版された『北越資料 出雲崎』という書物に、越後石油発見の由来が記されている。「わ...