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濁河温泉から寝覚ノ床、妻籠宿・馬籠宿へ~~岐阜・長野方面旅行三日目

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Category岐阜県
早朝目が覚めて朝風呂に入り、食事までまだ時間があったので夫婦で散歩に出かける。ホテルのすぐ近くに「濁河三滝」と言われる3つの滝があるらしいのでそれを目指して歩く。
天気は良いのだが肝心の御岳山は頂上あたりが雲で隠れて見えないのが残念だ。

宿から5分ばかり歩くと落差20mの「緋の滝」という滝が見えてくる。御覧のようになかなか綺麗な滝だ。

緋の滝

そこからさらに5分程度歩くと道路わきから落差15mの「白糸の滝」が見えてくる。

白糸の滝

更に進んで御嶽神社の参道あたりまで歩いて、時間の余裕があまりなかったので3つ目の滝を観ずに引き返したが、自宅に帰ってから調べると3つめの滝である「仙人の滝」が落差30mと一番大きく、御嶽神社まで歩けば「仙人の滝」はもうすぐだったらしく、少し惜しいことをした。

「旅館御岳」の朝食もまた良かった。特に源泉で味付けをしたお粥があっさりとして美味しく頂けたが、このお粥は「御岳源泉粥」というこの宿の名物料理で、売店でも売っていたので思わずいくつか買ってしまった。

チェックアウトを済ませ、次の行き先は「寝覚ノ床」だ。
「寝覚ノ床」は中学時代に教科書で学んだことがあるし、信州方面の旅行の時にJRの中央本線の車窓から何度か見ているが、いつも「あっ」という間に通り過ぎてしまうので、随分前から一度ゆっくり見てみたいと思っていた。

「寝覚ノ床」近辺には大きな土産物屋があり、その展望台から景色を眺めることもできるが、ちょっと距離がありすぎて小さくしか見れないのと、JR中央本線の架線が邪魔でどうしても気になってしまう。
折角来たのだから、川の近くまで行こうと思って進むと、「臨川寺」というお寺にぶつかる。名勝「寝覚ノ床」は、臨川寺の境内の中にあるのだ。

臨川寺

拝観料を払ってJRの線路の下を通って木曽川の川べりに出ると、なかなか見事な眺めであった。木曽川のような水量の多い川で、良くこんなに狭い流路がここだけに残ったものだと感心してしまう。

寝覚ノ床

「寝覚ノ床」には浦嶋太郎の伝説があるのだが、以前天橋立方面に旅行した時に伊根町に浦嶋神社という神社があり、浦嶋太郎を祀っていた。浦嶋太郎の話は日本書紀や万葉集にも出てくる話で丹後の国(京都府)の話だと思っていたし、木曾川のような急流の川に大きな亀や龍宮城が出てくるとすれば誰が考えても変だと思う。

臨川寺のパンフレットには次のように書いてある。
「…浦嶋太郎が龍宮へ行ったという話は、やはり海岸のことで、今の京都の天橋立である。…ところが龍宮から帰ってみると、親兄弟はもちろん、親族隣人誰一人として知っている人はなく、我が家もないので、そこに住む事が出来ず、…、この山の中にさまよいこんできた。…ある日のこと、フッと思いついたように、土産にもらってきた玉手箱を開けてみたならば、いっぺんに三百歳のおじいさんになってしまい、ビックリして目が覚めた。眼を覚ましたのでここを寝覚という。…」
要するに、浦嶋太郎が玉手箱を開けた場所がこの寝覚ノ床という話だ。

いろいろ調べると、この臨川寺に関しては「寝覚浦嶋寺略縁起」という本があり、その中に寝覚ノ床の浦嶋太郎の話が出てくるそうだが、この本の出版は嘉永元年(1848)頃らしく、江戸時代の終わりの頃にはこのような伝説がこの地に広く知られていたようである。

臨川寺は江戸時代初頭から栄えた寺であったが、文久三年(1863)に全焼した記録がある。この寺の宝物館には、浦嶋太郎の釣りざおが展示されているが、一体いつ頃のものなのであろうか。本当に貴重なものなら、無人の建物に存置されることはないであろう。
浦嶋太郎の釣りざお


次は、妻籠宿を目指す。
江戸時代にタイムスリップしたようなこの景色を、どうしてもこの目で見たかった。よくこの宿場の風景をそのまま残してくれたものだ。

妻籠宿

ここへきたら絶対行くべきは、南木曽町博物館。脇本陣奥谷、妻籠宿本陣と歴史資料館の3館がセットになっている博物館だ。

脇本陣奥谷は明治10年(1877)に建て替えられたものだが、江戸時代には木曾の檜を一般の建築に使うことを禁じられており、その禁制が解かれた際に当主の林氏が、当時の粋を集めて総檜造で建てた建物だそうだ。

妻籠本陣内部

明治時期の建築ながら平成13年に国の重要文化財に指定されている。写真はその囲炉裏の間である。ここでは、語り部のわかりやすい説明を聞くことが出来る。

妻籠宿本陣は、島崎藤村の実兄である島崎広助が最後の当主であったが、明治20年代に広助が東京に出た際に建物は取り壊されてしまったそうだ。現在の建物は平成7年に江戸時代後期の間取り図をもとに忠実に復元したものである。
妻籠本陣

写真は妻籠宿本陣を外から写したものだが、荒川家住宅のように屋根の上に石が置かれている。

妻籠宿で立ち寄りたいのが手作り菓子の澤田屋。名物の「老木」と木曾伝承の栗きんとんを買って帰った。

妻籠宿で蕎麦を食べてから、近くの馬籠宿にも立ち寄った。

馬籠宿

明治の文豪の島崎藤村はこの馬籠宿の本陣で明治5年に生まれた。本陣の建物は明治28年の大火でほとんど焼失してしまったのだが、唯一残ったのが藤村の祖父母の隠居所で、この建物の二階で少年時代の藤村は父から四書五経の素読を受けたそうだ。

島崎家隠居所

展示室もいくつかあり、小説の自筆原稿や愛用品など島崎藤村の生涯にわたる作家活動の資料が展示されている。

馬籠宿にはまだまだ見るべきところがあったとは思うのだが、3日間、沢山見て歩いたので充分満足して、ここで旅行を切り上げて帰途についた。
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