世界遺産の吉野山金峯山寺と特別公開中の秘仏・蔵王権現像
奈良県にある吉野山は古来桜の名所として有名で、三年前の桜の時期にバス旅行で行った時はものすごい人だった。吉野に来たほとんどの観光客が最初に訪れる世界遺産の金峯山寺(きんぷせんじ)は、明治7年に修験道が禁止されて一時的に廃寺となり、国宝の蔵王堂などは強制的に神社にされてしまったことは以前このブログにも書いた。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-85.html

上の画像は江戸時代後期に描かれた「吉野山勝景絵図」だが、これを見ると江戸時代はこの山に多くの僧坊があったことがわかるが、その多くが廃仏毀釈により消滅してしまっている。

上の図は正徳3年(1713)に描かれた「和州芳野山勝景図」の蔵王堂の近くを拡大したものだが、蔵王堂のすぐ近くにあった多宝塔や、後醍醐天皇の行宮となった實城寺も明治期に破壊されてしまったようだ。
明治19年(1886)に金峯山寺が神社からお寺に戻った経緯は以前書いた記事を読んで頂くこととして、前回に訪れた時は蔵王堂内陣の巨大な厨子に安置される3体の蔵王権現像(重要文化財)は公開されていなかったので見ることが出来なかった。
この仏像は今まで滅多に公開されることのない秘仏で、最近では吉野・大峯の史跡が世界遺産に登録された6年前に1年近く公開されたのち、3年前に5日間だけ公開されたそうだが、今年は奈良遷都1300年のイベントの1つとして9月1日から12月9日まで公開されている事を新聞で知り、どうしても見たいと思って先週の6日に行って来た。

駐車場に車を置き、黒門を過ぎてしばらく歩くと、四天王寺の石の鳥居、厳島神社の朱の鳥居とともに日本三鳥居の一つとされる「銅(かね)の鳥居(重要文化財)」が見えてくる。以前このブログで「鳥居は神社のものなのか」という記事の中でこの鳥居を紹介したが、鳥居は神社だけのものではないのだ。探せば大分県の富貴寺や岩戸寺など結構お寺に鳥居が存在する。佐伯恵達氏によると、画像のように鳥居に丸い台座のあるものは仏教信仰によるものだそうだ。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-56.html

銅の鳥居から少し歩くと、金峯山寺の仁王門(国宝)が見えてくる。重層入母屋造,本瓦葺の楼門で康正2年(1456)の再建である。左右にある仁王像は鎌倉末期の仏師康成の作だそうだ。

そして仁王門を登るとすぐに国宝の蔵王堂が見えてくる。この建物は天正19年(1592)の豊臣家の寄進で建立されたもので、高さ34メートル、奥行、幅ともに36メートル。木造の古建築としては東大寺大仏殿に次ぐ大きさだそうだ。

中に入ると、内陣の厨子の扉が開けられており、巨大な蔵王権現像(ざおうごんげんぞう:重要文化財)を拝むことができた。この仏像は木造で、制作されたのは天正19年(1592)頃と言われているのだが、保存状態はかなり良好で青黒い彩色が今も色鮮やかである。秘仏なので写真を撮ることは許されないのでネットで見つけた画像を添付したが、この画像で本物の迫力がどの程度伝わるだろうか。
寺伝では中央の像が釈迦如来(7.3m)、向かって右が千手観音像菩薩(6.1m)、左の像が弥勒菩薩(高さ5.9m)を「本地」とするもので、それぞれ過去、現世、来世を象徴していると言われている。
「本地」という言葉を理解するには、学生時代に学んだ「本地垂迹説」という言葉を思い出す必要がある。
神道と仏教を両立させるために神仏習合という信仰行為を理論づけし、整合性を持たせるために平安時代に成立した「本地垂迹説」、をわかりやすく説明すると、「本当は仏教の仏(本地)で、日本では神道の神としてやっています(垂迹)」ということ。「権現」とは仏が神の形をとって仮の姿で現れたということを意味している。
この大きな権現像が安置されている厨子の近くに、特別拝観期間中だけのためにいくつか仕切られた特設スペースが設けられていて、正座しながら蔵王権現像を目の前で見ることが出来た。これだけ近づくと外陣から見るよりもはるかに大きく、その存在感に圧倒されてしまう。
火焔を背負い、頭髪は逆立ち、目を吊り上げ、口を大きく開き、右足を高く上げて虚空を踏む。
右手に持つ法具は三鈷(さんこ)といい、煩悩を打ち砕くものだ。左手は一切の情欲や煩悩を断ち切る剣を持ち、左足で地下の悪魔を押さえ、右足は天地間の悪魔を払う姿だという。青黒い色は仏の慈悲、赤い炎は偉大なる知恵を表すもので、蔵王権現像は神も仏も自然も一体になった日本独自の存在だそうだ。

悪を払うという怒りの形相は今の世の中を怒っているのか、それに対して何もしていない私のことを怒っているのか。じっと見ているうちに次第に自分を奮い立たせて、励まされているような気分にもなる。
普通の寺院の仏像なら、柔和な表情で鑑賞するだけで穏やかな気分になるのだが、蔵王権現像はむしろ見ているだけで力がみなぎり、自然に背筋が伸びるような思いがする。しばらくこの仏像に釘付けになってしまった。

金峯山寺は白鳳年間(7世紀末)に修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)がこの山で修行され、蔵王権現を感得し、そのお姿を桜の木で刻み、蔵王堂を建ててお祀りしたのがはじまりだそうだが、その時代は様々な悪事がはびこり、悪を調伏させるためにこのような蔵王権現像を作ったと言われている。
ならば今の時代にこそ、憤怒の形相の蔵王権現像が必要なのではないか。
今の政治家や企業経営者、教育者、公務員など、国家や社会や組織のリーダーたるべき立場の人間が、本当の「悪」と戦っているのか。戦うどころか、自己の利益や保身ばかりを優先し問題を先送りして、結果として大きな「悪」をのさばらせてはいないだろうか。そのことが、真面目に働き真面目に学ぶ人々を苦しめてはいないか。
日本人は争いごとを好まず、怒りは抑えて表に出すことが少ない民族だと思うのだが、怒らないから多くの問題が先送りされて、なかなか問題が解決されない側面もある。
日常生活の中で人の怒りを感じることが少ないからこそ、神や仏の怒りと対峙して自分を謙虚に振り返り、自分に関係する様々な問題を見つめる機会を持つことが、現代社会に生きる多くの日本人にとってきっと必要な事だと思うのだ。
圧倒的な存在感で怒りを感得できる素晴らしい秘仏の特別公開も、残すところあと1ヶ月を切ってしまったが、この機会に「蔵王権現像」を出来るだけ多くの人に見てもらいたいものだと思う。
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上の画像は江戸時代後期に描かれた「吉野山勝景絵図」だが、これを見ると江戸時代はこの山に多くの僧坊があったことがわかるが、その多くが廃仏毀釈により消滅してしまっている。

上の図は正徳3年(1713)に描かれた「和州芳野山勝景図」の蔵王堂の近くを拡大したものだが、蔵王堂のすぐ近くにあった多宝塔や、後醍醐天皇の行宮となった實城寺も明治期に破壊されてしまったようだ。
明治19年(1886)に金峯山寺が神社からお寺に戻った経緯は以前書いた記事を読んで頂くこととして、前回に訪れた時は蔵王堂内陣の巨大な厨子に安置される3体の蔵王権現像(重要文化財)は公開されていなかったので見ることが出来なかった。
この仏像は今まで滅多に公開されることのない秘仏で、最近では吉野・大峯の史跡が世界遺産に登録された6年前に1年近く公開されたのち、3年前に5日間だけ公開されたそうだが、今年は奈良遷都1300年のイベントの1つとして9月1日から12月9日まで公開されている事を新聞で知り、どうしても見たいと思って先週の6日に行って来た。

駐車場に車を置き、黒門を過ぎてしばらく歩くと、四天王寺の石の鳥居、厳島神社の朱の鳥居とともに日本三鳥居の一つとされる「銅(かね)の鳥居(重要文化財)」が見えてくる。以前このブログで「鳥居は神社のものなのか」という記事の中でこの鳥居を紹介したが、鳥居は神社だけのものではないのだ。探せば大分県の富貴寺や岩戸寺など結構お寺に鳥居が存在する。佐伯恵達氏によると、画像のように鳥居に丸い台座のあるものは仏教信仰によるものだそうだ。
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銅の鳥居から少し歩くと、金峯山寺の仁王門(国宝)が見えてくる。重層入母屋造,本瓦葺の楼門で康正2年(1456)の再建である。左右にある仁王像は鎌倉末期の仏師康成の作だそうだ。

そして仁王門を登るとすぐに国宝の蔵王堂が見えてくる。この建物は天正19年(1592)の豊臣家の寄進で建立されたもので、高さ34メートル、奥行、幅ともに36メートル。木造の古建築としては東大寺大仏殿に次ぐ大きさだそうだ。

中に入ると、内陣の厨子の扉が開けられており、巨大な蔵王権現像(ざおうごんげんぞう:重要文化財)を拝むことができた。この仏像は木造で、制作されたのは天正19年(1592)頃と言われているのだが、保存状態はかなり良好で青黒い彩色が今も色鮮やかである。秘仏なので写真を撮ることは許されないのでネットで見つけた画像を添付したが、この画像で本物の迫力がどの程度伝わるだろうか。
寺伝では中央の像が釈迦如来(7.3m)、向かって右が千手観音像菩薩(6.1m)、左の像が弥勒菩薩(高さ5.9m)を「本地」とするもので、それぞれ過去、現世、来世を象徴していると言われている。
「本地」という言葉を理解するには、学生時代に学んだ「本地垂迹説」という言葉を思い出す必要がある。
神道と仏教を両立させるために神仏習合という信仰行為を理論づけし、整合性を持たせるために平安時代に成立した「本地垂迹説」、をわかりやすく説明すると、「本当は仏教の仏(本地)で、日本では神道の神としてやっています(垂迹)」ということ。「権現」とは仏が神の形をとって仮の姿で現れたということを意味している。
この大きな権現像が安置されている厨子の近くに、特別拝観期間中だけのためにいくつか仕切られた特設スペースが設けられていて、正座しながら蔵王権現像を目の前で見ることが出来た。これだけ近づくと外陣から見るよりもはるかに大きく、その存在感に圧倒されてしまう。
火焔を背負い、頭髪は逆立ち、目を吊り上げ、口を大きく開き、右足を高く上げて虚空を踏む。
右手に持つ法具は三鈷(さんこ)といい、煩悩を打ち砕くものだ。左手は一切の情欲や煩悩を断ち切る剣を持ち、左足で地下の悪魔を押さえ、右足は天地間の悪魔を払う姿だという。青黒い色は仏の慈悲、赤い炎は偉大なる知恵を表すもので、蔵王権現像は神も仏も自然も一体になった日本独自の存在だそうだ。

悪を払うという怒りの形相は今の世の中を怒っているのか、それに対して何もしていない私のことを怒っているのか。じっと見ているうちに次第に自分を奮い立たせて、励まされているような気分にもなる。
普通の寺院の仏像なら、柔和な表情で鑑賞するだけで穏やかな気分になるのだが、蔵王権現像はむしろ見ているだけで力がみなぎり、自然に背筋が伸びるような思いがする。しばらくこの仏像に釘付けになってしまった。

金峯山寺は白鳳年間(7世紀末)に修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)がこの山で修行され、蔵王権現を感得し、そのお姿を桜の木で刻み、蔵王堂を建ててお祀りしたのがはじまりだそうだが、その時代は様々な悪事がはびこり、悪を調伏させるためにこのような蔵王権現像を作ったと言われている。
ならば今の時代にこそ、憤怒の形相の蔵王権現像が必要なのではないか。
今の政治家や企業経営者、教育者、公務員など、国家や社会や組織のリーダーたるべき立場の人間が、本当の「悪」と戦っているのか。戦うどころか、自己の利益や保身ばかりを優先し問題を先送りして、結果として大きな「悪」をのさばらせてはいないだろうか。そのことが、真面目に働き真面目に学ぶ人々を苦しめてはいないか。
日本人は争いごとを好まず、怒りは抑えて表に出すことが少ない民族だと思うのだが、怒らないから多くの問題が先送りされて、なかなか問題が解決されない側面もある。
日常生活の中で人の怒りを感じることが少ないからこそ、神や仏の怒りと対峙して自分を謙虚に振り返り、自分に関係する様々な問題を見つめる機会を持つことが、現代社会に生きる多くの日本人にとってきっと必要な事だと思うのだ。
圧倒的な存在感で怒りを感得できる素晴らしい秘仏の特別公開も、残すところあと1ヶ月を切ってしまったが、この機会に「蔵王権現像」を出来るだけ多くの人に見てもらいたいものだと思う。
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