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端午の節句と「鯉のぼり」

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Category伝統行事
もうすぐ端午の節句(5月5日)だ。子供の頃、4月の下旬にもなると、自宅近隣のあちこちの家で「鯉のぼり」が屋根の上を泳いでいた。

屋根より高い鯉のぼり

私の実家のお寺も、この時期は祖父や父が、何年も使ってきたであろう太くて長い竹を取り出して、毎年兄と私のために大きな「鯉のぼり」を毎日立ててくれたことを思い出す。

子供のためとはいえ、大きな鯉のぼりを毎朝立てて毎夕片づけることは簡単なことではなかったはずである。雨が降りだせばあわてて片づけなければならなかったので母も大変だったと思うが、近所の家のどこよりも大きく、どこよりも高く「鯉のぼり」が毎日泳いでいることが、子供の頃の私にとっては誇らしく思えた。

言葉をあまり使わないで、鯉のぼりや兜などで喜ばせながら子供をたくましく育てていく日本の伝統や風習の良さを感じて、最近になって端午の節句の由来を調べた時は驚いてしまった。

端午の節句は男子のお祭りとして相当古くから続く伝統行事だとばかり思っていたが、もともとは女の子のお祭りだったらしいのだ。

飯倉晴武氏の「日本人のしきたり」という本によると、「…田植えが始まる前に、早乙女と呼ばれる若い娘たちが、「五月忌み」といって、田の神のために仮小屋や神社などにこもってケガレを祓い清めていたのです。つまり、この日は、田の神に対する女性の厄払いの日だったのです(68p)」とある。

面白そうなので、ネットで「五月忌み」を調べると、結構詳しく書かれたサイトが見つかった。
http://www.bite-japan.com/kako/saijiki05-j.html

「稲作が生活の中心だった当時の日本では、田植えは1年の中で最も重要だと考えられていました。その頃、田植えを行うのは生命を産み出す女性の役目で、田植えが始まる前の晩には早乙女(さおとめ)と呼ばれる若い娘達が、仮小屋や神社などにこもって、田の神様(稲の神様)のために穢れ(けがれ)を祓い(はらい)、身を浄(きよ)めたと言われています。こうした儀式を「五月忌み(さつきいみ)」とか「忌みごもり(いみごもり)」と呼ぶんだそうです。

このような風習はおそらく、桜の咲く頃に山から里に降りて来た山の神様(田の神様、稲の神様)を、田植えを前に田んぼに招き入れるための儀式だったのではないでしょうか。その頃、山の神様は春になると里に降りて来て田の神様、あるいは稲の神様になり、秋になって田に実りをもたらした後、再び山に帰って山の神様になり、冬の間は山で過ごすと信じられていました。こうした田の神様(稲の神様、山の神様)の崇拝(すうはい)は、サ神(サガミ)信仰と呼ばれるものだと考えられています。…」とある。

「サ神信仰」とは原始宗教の山岳信仰のことでいわゆる「山の神」のことである。話が長くなるので、参考までに参考になるサイトを紹介しておこう。
http://blog.goo.ne.jp/hardsix/e/540040751aa668cc19ed07a4eb379a6d

女性の厄払いとしての端午の節句が男子の伝統行事になっていったのは平安時代の頃らしい。

平安時代には宮中では馬の上から矢を射たり、競べ馬などの勇壮な行事が行われていたが、端午の節句で厄除けに使われていた菖蒲(ショウブ)が、武事を尊ぶ「尚武」や「勝負」に通じることから、男の子が菖蒲を使って兜を作ったりして遊ぶようになって、女の子のお祭りであった五月忌みが男の子のお祭りになっていったそうである。

また、家の中に飾る五月人形は、元々は雛人形と同じように、穢れを移して川に流すための紙人形であったが、江戸時代に武士たちの間で鎧や兜などの武具を飾り立てるのがひろがり、また「鯉のぼり」は江戸時代の中頃には登場していたようで、家の中に五月人形を飾り、外には鯉のぼりを飾る風習が武士階級だけではなく商人たちの間にも次第に広まっていったそうだ。

では何故「鯉のぼり」を立てるようになったのか。中国の「龍門を登って鯉が龍になった」という登竜門の故事にあやかって、子供の出世を願うために鯉のぼりをたてるようになったのが全国に広まっていったということらしい。

鯉のぼり

上の絵は歌川広重による名所江戸百景の「水道橋駿河台」であるが、江戸時代の鯉のぼりは黒一色だったようだ。明治時代になって緋鯉と対に掲げられるようになり、子鯉も一緒に掲げられるのは昭和になってからだそうだ。

最近では、この時期に鯉のぼりを見ることが随分少なくなった。今日、通勤途上で「鯉のぼり」を探してみたのだが、マンションのベランダに立てかけられた小さいものをひとつ見つけただけだった。

大きな家が減り、核家族になって若い世代がマンションや団地に住み、少子化が進んでいるうえに共稼ぎの世帯が増えれば仕方のないことかも知れないが、私の場合は鯉のぼりを通じて親の愛情を感じ、雄々しく泳ぐ鯉のぼりを見て感じるものがあったような気がする。

親ならば誰しもわが子が健康でたくましく育ち、将来は大きく出世してほしいことを願う。しかしそのことを言葉で何遍言っても子供が育つものでもなく、親の気持ちが伝わるものでもない。ましてお金を子供に与えたのではそのような大事なものはますます伝わらなくなるのではないか。子供に与えるべきものは大きな希望であり夢であり智恵であって、断じてお金ではない。

言葉では伝えにくいものをさりげなく小さい子供に伝えていくヒントが、日本の伝統行事や風習の中に沢山ちりばめられているような気がするのだが、戦後になってこのようなものを切り捨て過ぎてはいないだろうか。

以前にも書いたが、長い年月をかけた成功体験の蓄積により培われた日本の伝統や風習を、もう少し振り返るべき時期が来ていると思う。

祖谷渓・こんぴら 025

家庭では鯉のぼりを使わなくなって、このように観光地などで活用されている。活用されることは悪いことではないが、このような田舎の地で鯉のぼりを屋根より高く泳がすことのできる場所であるならば、親の心と幼い子供の心とをつなぐものを家庭に残して、次の世代のために引き継いでいってほしいものだ。
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