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日本百名城の一つである岩村城を訪ねた後、国宝・永保寺に立ち寄る

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Category岐阜県
苗木藩の廃仏毀釈の史跡を見た後、岩村城跡(県史跡)に向かう。
岩村城は鎌倉時代中期頃に、砦あるいは城館のようなものが平坦部に築かれ、戦国時代に入って本格的な城山が築かれたとされる。
この城の本丸は標高717mの城山山頂にあり、諸藩の居城の中では最も高い場所にあるのだそうだ。この城の付近でよく霧が発生するために、別名「霧が城」とも呼ばれている。

また岩村城は、高取城(奈良県高市郡高取町)、備中松山城(岡山県高梁市)と並ぶ日本三大山城の1つに数えられているのみならず、公益財団法人日本城郭協会が平成18年2月に公表した「日本百名城」にもリストアップされている。岐阜県で選ばれているのはこの城と、岐阜城の2つのみである。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~nihonjokaku/pdf/100list.pdf
1989年にJTBが選んだ「日本秘境百選」にもこの城が選ばれているのが気になっていて、以前から行きたいと思っていた。
http://j100s.com/hikyo.html

岩村城の麓の藩主邸跡に「岩村歴史資料館・民俗資料館」があり、その駐車場に車を駐めた。
この資料館には岐阜県の重要文化財に指定されている「享保岩村城絵図」「明和岩村城絵図」「佐藤一斎自讃画像」などが展示されている。

知新館と櫓

藩主邸の敷地には岩村城の太鼓櫓、表御門が復元され、すぐ横に岩村藩校知新館正門(岐阜県指定史跡)が移築されている。
知新館は、元禄16年(1703)に信州小諸から転封してきた松平乗紀(まつだいらのりただ)によって創設された岩村藩の藩校だが、当時、藩校は全国的にもまだ数少なく、特に2万石という小禄の大名が創設した事例は他にはないのだそうだ。
岩村藩では藩士は8歳になるとここで学ぶことが義務付けられ、20歳まで四書五経や儒学の修養、算術や書道などを学んだという。そしてこの藩校から、その後の日本の学問をリードした人物が何人か出ている。

江戸幕府の儒家である林家の養子となって林家を継ぎ、幕府の文書行政の中枢として幕政に関与した林述斎(はやしじゅっさい)や、後に昌平坂学問所に入門し、文化2年(1805)には昌平黌の儒官(総長)となった佐藤一斎(さとういっさい)が有名だが、佐藤一斎の弟子には佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠など幕末で活躍した著名な人物がかなりいるのに驚いてしまう。

佐藤一斎像

知新館の横に佐藤一斎の銅像があり、その左に佐藤一斎の有名な言葉が刻まれている。
「少くして学べば、則ち壮にして為すことあり
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず」

岩村城天守跡へはこの場所から徒歩で20分くらいと書かれていた。
「日本秘境百選」のリストのなかで、この場所ほど簡単に目的地に辿りつける場所は多くはないと思うのだが、真夏の炎天下に天守に続く坂道を登っていくのは正直言ってきつかった。歴史資料館近辺には飲料水の自販機が見当たらなかったので、汗をかく人は、事前に水筒を用意しておいた方が良いだろう。

岩村城址1

15分ほど登ると大手門を過ぎて立派な石垣が見えてくる。

岩村城址2

天然の地形を活かした菱櫓があり、奥に六段壁の石垣が見える。

岩村城址4

この坂を登れば、本丸の跡だ。このあたりの石垣は見事である。

岩村城址3

本丸跡からの眺めも素晴らしいのだが、3日連続の山歩きで、しかも炎天下の散策はきつかった。普段ならベストアングルを狙って、石段を登ったり下りたりしていろんな場所からカメラの位置を変えて写すところなのだが、この日はその元気がなかったので、本丸から出丸、南曲輪方面には行かずに、来た道を引き返すことにした。

ここで岩村城の話題をひとつ。
岩村城は「女城主」と呼ばれた人物がいたという伝説がある。この話はネットでいろんな人が書いているが、朝日新聞の記事などを参考にして、簡単にまとめておく。
http://www.asahi.com/travel/kosenjo/TKY200908170117.html

元亀3年(1572)、城主の遠山景任(かげとう)が子供のないまま病死する。織田信長の叔母にあたるという景任の妻の「おつやの方」は、信長の五男坊丸(後の織田勝長)を養嗣子としたのだが、坊丸はまだ幼かったので、おつやの方が当主の座を引き継いで岩村城の女城主となったと言う話だ。

ところが、同年10月に武田信玄が西上作戦を開始した際に、おつやの方は武田軍に寝返り、武田の将・秋山信友の妻となって岩村城主の妻の座に着き、この時に坊丸は人質として甲斐に送られたという。このことが信長の逆鱗に触れることとなる。

長篠の戦いで武田勢に圧勝した信長は、嫡男の信忠を大将として岩村城を攻めたのだがなかなか落ちない。そこで信長は城兵の助命を条件に開城させるのだが、その後和議の約束を反故にして秋山信友以下の城将を皆殺しにしたという。この時におつやの方がどうなったかについては、武田家軍学書「甲陽軍艦」には、信長によって成敗されたと書かれているそうなのだが、捕らえ逆磔刑に処されたという話もあるようだ。

遠山景任の妻が織田信長の叔母であったというのが多数説なのだそうだが、甲陽軍鑑では「伯母」、「巌邑府誌」では「信長の女弟なり」と記されているようで、「女城主」の伝説も後世の創作部分がかなりありそうな気がする。

前日は奈良井宿の古い街並みを楽しんだが、岩村城の城下町である岩村町の散策を予定に入れていた。この岩村町も重要伝統的建造物保存地区に指定されており、現在も本町通りの4分の1は江戸時代の建物なのだそうだ。

岩村城下町

本町通り沿いには古い家がびっしり建っているので駐車場はない。少し歩くことになるが、大きな駐車場が岩村振興事務所の近くにあるのでそこを利用するのが良いだろう。次のURLの観光マップが参考になる。
http://www.fureai.enat.jp/kankou/images/map1.pdf

昼食を終えて本町通りを少し歩いて、勝川家に入った。
勝川家は屋号を「松屋」と言い、江戸末期から台頭した材木や米を扱う商家だったそうだ。

勝川家

中庭には米蔵があり、年間3千俵の米を取扱い、幕末にはその財力で逼迫した岩村藩の財政を支えたと言われている。敷地内には江戸時代の土蔵などが残されている。

予定の時間が過ぎたので岩村町の観光を切り上げたが、時間があれば幕末の庄屋であった浅見家や江戸時代の問屋で岩村藩御用達であった木村屋なども見ておきたかった。

最後の目的地は、多治見市にある永保寺(えいほうじ)。

夢窓礎石

この寺は正和2年(1313)に土岐氏の招きを受けた夢窓礎石(むそうそせき)により開創されたと伝えられ、現存の開山堂と観音堂はともに国宝に指定され、庭園は国の名勝に指定されている。

永保寺観音堂2

上の画像は国宝の観音堂で、この建物は夢窓礎石が来られた翌年の正和3年(1314)5月に建立されたもので、夢窓礎石により建てられた建築物としてわが国に唯一現存するものだそうだ。唐様建築の手法に平安時代から続く和様建築の手法を折衷させた建築様式で、鎌倉時代末期の折衷様建築の代表作と評価されている。
庭園は寺の創建直後に夢窓礎石に造庭されたと言われ、観音堂の横の岩山、臥龍池にかかり観音堂につながる無際橋(むさいきょう)など歩きながら景色の変化を存分に楽しむことが出来る。

永保寺開山堂2

庭園の西北の奥まったところに、国宝の開山堂がある。この建物は1352年頃に足利尊氏が建立したと言われ、室町時代初期の唐様建築の代表的な建物だとされている。
この建物の裏には祠堂(しどう:神社でいえば本殿のようなもの)があり、夢窓国師とこの寺を開山した仏徳禅師の座像が安置されているという。
前部の礼堂、後部の祠堂とは相の間によって繋がっていて、その建て方が「後の神社建築(権現造)の原型になった」と、案内板に解説されていた。
「権現造」は、本殿と拝殿が一体化され、間に「石の間」と呼ばれる低い建物を設けているのだが、永保寺に来て神社の建築様式の原型を見ることになるとは思わなかった。

岐阜県には何度か来ているが、国宝を訪ねたのは今回の旅行が初めてだ。
岐阜県の国宝建造物は3つだけで、今回の旅行の初日で安国寺経蔵を見学し、最終日の最期に永保寺の観音堂と開山堂を見学した。岐阜県のすべての国宝建造物を今回の旅行で訪ねたことになる。
http://otakaramap.funboy.info/modules/pico/index.php?content_id=220

今までいくつもの国宝や文化財を見てきたのだが、国宝や文化財があるにもかかわらず、その場所を訪れる観光客が驚くほど少ないことが気になっている。
このブログで何度か書いてきたが、美しい街並みや建造物や伝統文化などは、訪れる人がいなくなれば、いずれは地元の人々だけでは支えられない時が来てしまうことになる。

しかし、我々の先祖が、数百年以上ものあいだ何世代にもわたって護り育ててきた地域の伝統や文化やその景観を、我々の世代で朽ち果てさせて良いのかという思いがあるのは私だけではないだろう。
そうならないためには、地方の魅力をできるだけ多くの人に知っていただき、興味を持っていただいて実際に足を運んでいただくことが必要なのだ。

私に出来ることは、地方を訪れて社寺などの名所を訪ね、その地域の農産物や加工品などを買ったり食事をして、その旅行の記事を書くことくらいなのだが、旅行の雑誌に載っていないような場所にも、地域の人々が誇りにするさまざまな歴史や文化があることを、このブログでこれからも伝えていきたいと思う。
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