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下呂温泉から国宝犬山城へ~~富山・岐阜・愛知方面旅行3

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Category岐阜県・愛知県
旅行もいよいよ三日目の最終日になった。
下呂温泉の朝風呂に入ったのち、天気が良かったので近くを散歩することにした。
ホテルの部屋から竪穴式住居のようなものが見えるのがずっと気になっていたので、ホテルから縄文橋を渡り「ふるさと歴史館」の近くに出かけることにした。

縄文式竪穴住居

ここまで来て初めて知ったが、この辺りは今から5800年ほど前の縄文時代前期と1800年ほど前の弥生時代の集落遺跡が発見されて「峰一合(みねいちご)遺跡」と名付けられ、この辺り一帯を「縄文公園」と呼ばれているようなのだ。発掘された住居跡の内、縄文時代と弥生時代のものが3棟復元されている。

案内板を読むと、縄文人の食べ物と考えられる「パン状炭化物」がここで出土しているらしく、このような食べ物が出土するケースは全国で数例しかないのだそうだ。
また、縄文人が弓矢の先端に用いる石鏃(やじり)が多数出土しているらしい。

下呂石と縄文橋

今から10万年ほど昔に下呂温泉の南側にある「湯が峰」という火山が噴火した際に、流れ出た溶岩が固まってできた石を「下呂石」と呼ぶのだそうだが、この石に黒いガラス質のものが含まれており、割ると鋭利な割れ口が出来るので、 旧石器時代から矢じりや石槍など石器を造るための優れた材料として使用されていたのだそうだ。
この石はこの地域でしか見つからないものなのだが、この石を使った石器が東海・信州・北陸地方など広範囲で発見されているのは興味深い。崩れ落ちた石が飛騨川から流れて木曽川の下流の地域で拾われて加工されたということも考えられるが、貴重な石として古くから交易されていたのだろう。

ホテルに戻って朝食を済ませてからチェックアウトして、下呂温泉の近辺を観光することにした。
下呂温泉の旅行案内に必ず書かれているのは「下呂温泉合掌村」で、ここには白川郷や五箇山の合掌造りの建物10棟が展示されている。なかでも「旧大戸家住宅」は衆議院議員平沢勝栄氏の生家で国の重要文化財に指定されている大きな建物なのでこれだけでも見る価値はあるのだが、合掌造りは初日に五箇山で本物を充分堪能したので今回は省略した。

温泉寺本堂

最初に訪問したのは「温泉寺」。この寺のHPに寺の由来が書かれている。
それによると、下呂温泉は一千年以上の歴史を持つといわれているが、文永二年(1265年)突然温泉の湧出が止まってしまう。
「その翌年、毎日の飛騨川の河原に舞い降りる一羽の白鷺に村人が気づく。不思議に思った村人がその場へ行ってみると、温泉が湧いていた。空高く舞い上がった 白鷺は、中根山の中腹の松に止まり、その松の下には光り輝く一体の薬師如来が鎮座していた・・・。これが下呂に伝わる白鷺伝説であり、温泉寺開創の縁起で ある。白鷺に化身し、温泉の湧出を知らせたこの薬師如来を本尊とするのが、醫王霊山温泉寺である。」
http://www.onsenji.jp/history/index.html?admin=view

上の画像は温泉寺の本堂で、その左にある小さな建物に「湯掛薬師」が祀られておりその蓮華座から下呂温泉の源泉が湧き出ていて、参拝者がこのお湯を薬師坐像の自分の具合の悪い部分にかければ、参拝者の病気が治ると信仰されている。

温泉寺は静かなたたずまいのいいお寺で、春の桜のシーズンや秋の紅葉シーズンは特に美しいらしく、参拝者も多いそうだ。

温泉博物館

次に「下呂発温泉博物館」に行く。ここでは昔の温泉番付などの文化資料や古写真、温泉の仕組みや泉質、効能の紹介にかかわる資料などが展示されている。
足湯なども併設されているが、朝風呂で充分堪能したので省略し、お土産を買うことにした。この近くにはいくつも土産物の店があった。
何がいいかよくわからなかったが、養老軒というお店の「栃の実せんべい」が試食しておいしかったので何箱か買った。あとでわかったがこの店は創業明治25年の老舗で、ここの「栃の実せんべい」が下呂名物として有名らしく旅行雑誌などで紹介されていた。

下呂温泉を後にして、次の目的地である犬山城に向かう。

中山七里

途中で飛騨川沿いの「中山七里」を通るので景色のいいところで車を止めるつもりだったが、どのあたりの景勝地なのかを示す標識が良くわからず、とりあえず釜ヶ淵の石碑のあるあたりで車を止めて川に近づいたが、川岸からは渓谷の石ぐらいしか見えなかった。すぐ近くに橋があってそこを歩けば途中でいい景色が撮れるだろうと思ったが、残念ながらその橋は通行禁止だった。

美濃白川の道の駅で新鮮野菜を買い込み昼食をとって、午後1時頃に国宝犬山城に到着した。

犬山城2

ここで犬山城の歴史を振り返ってみよう。
犬山城は木曽川南岸の崖の上にそびえ、この天守閣は現存するものの中で最も古いとされている。
創建されたのは天文6年(1537)で、織田信長の叔父、織田信康によって木之下城より城郭を移して築いたとされ、現存天守の2階まではこの頃に造られたものと考えられている。

narusemasanari.jpg

その後城主が何度も変わるのだが、元和3年(1617)に尾張藩付家老の成瀬正成(上画像)が城主となって以降は明治の廃藩置県までは成瀬家の居城であった。

濃尾地震と犬山城

しかし明治の廃藩置県で天守閣を除く櫓・城門などが取り壊され、明治24年(1891)の濃尾地震では天守閣の東南角の付櫓が壊れてしまっている。犬山城のHPには明治初期の写真や、濃尾地震で崩れた天守の写真が公開されている。
http://inuyama-castle.jp/castle/history

明治28年(1895)に崩れてしまった天守の修復を条件に、旧犬山藩主の成瀬正肥に無償で譲渡され、それ以来この犬山城は平成16年(2004)に財団法人犬山城白帝文庫に移管されるまで、成瀬家個人の持ち物であったということなのだ。
天守閣の最上階には歴代城主の肖像画や写真が掲示されていて、明治以降も「城主」と書かれていたのが印象に残った。
犬山城が国宝に指定されたのは昭和10年(1935)だが、個人でこんな大きな文化財を管理するのは大変な苦労があった事だったろうと思う。

犬山城からの景色

天守閣に登ると木曽川の雄大な流れと市街地が見渡せる。遮るところは何もなく、随分遠くまで見ることが出来る。この場所が軍事上、経済上、交通上重要な拠点とされたのも頷ける。

針綱神社

犬山城の登城入口近くにある「針綱神社」。ここは犬山城の守護神であり、ここのお祭りが「犬山祭り」である。このお祭りは毎年4月の第1週の土日に行われ、この祭りの「車山行事」が国の重要無形民俗文化財に指定されている。この「車山」が犬山城のすぐ近くの「犬山文化史料館」に展示されている。多くの提灯が灯ると、「車山」の存在感が増す。

犬山会館

「車山」は他地域では「山車」と呼ばれているが、他地域では二層のものが多いのに対し、犬山のものでは三層の構造になっていて、これを「犬山型」と呼ぶのだそうだ。下層は囃子所、最上層にはからくりが置かれ、中層は「中山」と呼ばれ最上層のからくりを動かす層となっているそうだ。

犬山からくり

別館の「からくり展示館」で実際に使われた人形などの展示があった。また、からくりの実演もあったのだが、実際は数人が操作する人形を、一人が人形の仕組みを説明しながら動かすだけでは、見ていてあまり面白いものではなかった。
からくり人形の面白さは、人間が見えないところで操作して、あたかも人形が自らの意思で動くかのごとく見せるところにあるのであって、人形の手足や表情が動く仕掛けの説明は短くて良いのではないだろうか。
飛騨古川のまつり会館ではコンピューター制御で見事な人形の動きを見せてくれたが、このような実演の方が観光客には楽しい。

犬山で3日間の旅程を終えて帰路についたが、日本の文化の奥深さを感じる楽しい旅行になって大満足だった。
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