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米人弁護士が書いた日露戦争後のカリフォルニアの排日運動~~米国排日3

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Category米国排日
前回まで二回にわけて、日露戦争以降のアメリカの排日活動の経緯や実態について書いてきたが、アメリカの知識人はこの時期のカリフォルニアで燃え上がった排日の原因をどう分析しているのだろうか。

日米開戦

ちょっと気になったのでネットで探していると、カレイ・マックウィリアムスの『日米開戦の人種的側面 アメリカの反省1944』という本があることを知り早速取り寄せた。著者は1905年生まれで南カリフォルニア大学で法律を学んだ後、弁護士資格を取得し、1938-1942年にはカリフォルニア州移民・住宅局長を務めた人物である。表題にあるように、この本は太平洋戦争の最中の1944年に出版されている。

マックウィリアムス氏は、1900年前後から始まったカリフォルニア州排日運動の火付け役は、宗主国イギリスの圧政から逃げ出してきたアイルランド系移民であったとはっきり書いている。この点については、前々回に紹介した五明洋氏の『アメリカは日本をどう報じてきたか』にも同じ指摘があったが、マックウィリアムス氏はもう少し詳しくその事情を述べている。

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当時カリフォルニア州で働く外国生まれの移民の4分の1がアイルランド出身者で、アイルランド系移民のほぼすべてがサンフランシスコに集中していて、サンフランシスコの労働運動をリードしていたという。
彼らはアイルランド人移民を糾合するのに人種問題を取り上げるのが手っ取り早い事に気づき、州人口の1割にも達していた中国人移民を排除した後、中国人に代わって入ってきた日本人をも同様の方法で排除しようとした。

マックウィリアムス氏はこう書いている。
「この頃、アメリカ東部の諸都市ではアイルランド人への差別がひどかった。その鬱憤を晴らすには反東洋人のスローガンは心地よかった。これに加えて日本がイギリスと結んだ日英同盟が反日本人の運動の火に油を注いだ。アイルランド人はイギリスの圧政の中で悲惨な暮らしを強いられてきたのだ。」(『日米開戦の人種的側面 アメリカの反省1944』p.41)

もともとカリフォルニア州は、他州から移住してきた人が人口の半分を占めていて、移住者たちはカリフォルニア州の政治に強い影響力があったそうだ。

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マックウィリアムス氏はこう分析する。
「このカリフォルニアの特異な人口構成は、むしろばらばらなものを一つにまとめようとするベクトルを作り出していて、その動きの中で生まれた団体が政治力を持っていたと考えている。…
その連携を生み出すには反日本人のスローガンは格好の手段となった。共通の敵を作れば連携が容易というわけだ。日本人問題をシングルイッシューとすることで、こうした団体の活動に共通項が見出せた。…」(同上書p.45-46)
と述べ、この時期にE・A・ヘイズ議員やハイラム・ジョンソン議員など上下院選挙などで選出された議員の多くが反日本人を主張することで選挙に勝利してきたことを書いている。いつの時代もどこの国でも民主主義という政治制度では、候補者は大衆受けすることを公約して選挙に勝とうとするものだが、人種問題を公約して選挙に勝った政治家が少なからずいたのが当時のアメリカだったのだ。

1906年4月18日にサンフランシスコに大地震が起こったことを前回の記事で書いた。その時にわが国は、諸外国の援助額の総計を上回る復興資金を出したのだが、なぜこの時に排日活動が終焉しなかったのか。

マックウィリアムス氏はこう書いている。
「…震災後しばらくは反日本人の動きは沈静化を見せている。しかしそれも長くは続かなかった。
日本人住民への犯罪的ともいえる暴力的行為がすぐに再発している。震災復興にあわせた都市再開発の流れのなかで、日本人社会も拡大した。ビジネスの規模も大きくなり、活動するエリアも広がった。例えば日本食レストランの数は八つから三十に一気に増えている。また従来はリトルトーキョーに居住していた日本人がエリアの外に出て家を購入し始めている。こうした動きにすぐさま反応したのが日本人・朝鮮人排斥連盟であった。日本人のビジネスをボイコットする運動を開始したのだ。
…日本人・朝鮮人排斥連盟は日本人排斥を公式なスローガンとして掲げた。それに他の組織も賛同している。こうした組織の会員数は四百五十万人[他州のメンバー数を含む]にのぼっている。こうしたなかで一九〇六年、カリフォルニア州は日本人移民排斥を超党派で支持することを決定した。」(同上書p.48-49)
地震や災害の後に外国人が勢力を拡大することを警戒することは判らないではないが、その後日本人児童をチャイナタウンにある学校に隔離したことは日本人を憤慨させた。

ではなぜアメリカ政府はカリフォルニア州の危険な動きをストップさせるべく圧力をかけなかったのか。

マックウィリアムス氏は続けて、
「カリフォルニアは一八八二年に支那人排斥法を成立させるために、南部諸州の支援を得て連邦政府に圧力をかけた。今回の事件も同じやり方をとったのだ。最高裁判所がアジア人や黒人の公民権排除を憲法違反でないとしている以上、合衆国政府には州の政策を変更させる権限はなかった。たとえ外国人の権利が条約上保護されるべきであっても、連邦政府はそれを強制することができなかったのだ。
南部諸州の黒人の権利を保護することができないように、カリフォルニアの支那人や日本人の権利も保護が出来ないのだ。…」(同上書p.55-56)

このようにアメリカ政府にはカリフォルニアの排日の動きを止める権限がなかったのだ。そして、メディアはさらにわが国との戦争を煽り、わが国は反米感情を昂らせていくばかりであった。

「ルーズベルト大統領は、わが国は日本との関係が悪化し、一触即発の戦争の危機にさらされていると考えた。大統領はヘンリー・ホワイト宛ての私信(7月10日付)のなかで次のように憂慮している。
『カリフォルニアの日本人排斥は由々しき問題である。事態が改善する兆しが一向にない。』
また友人のヘンリー・ロッジへの同日付け私信では、メディアを強く批判している。
『日本との戦争を避けることが出来たとしても、(戦争を煽る)メディアの責任は免れ得ない。日本にもわが国にも、この問題を戦争で決着すべしと叫ぶ馬鹿野郎が同じ程度に跋扈している。』
西海岸のメディアは(三紙を除いて)こぞって戦争を煽っていたのだ。」(同上書p.57-58)

サイレントインベージョン

同上書に、ロバート・E・パーク博士の言葉が紹介されている。
「階級あるいは人種間の衝突は、単純な、闇雲な反感から生じる衝突から形を変え、より政治的な意味合いを持つようになった。それはあのヒットラーが表現しているように、より精神性を持った、いわば霊的な側面を持ち始めたといえる。つまり人種間の対立のなかでは言葉、スローガンあるいはプロパガンダが“生き生きとした嘘(Vital lies)”になり、いわば言葉が兵器に変質したのだ。ニュース、論評、コラムといった類のものがすべてそういう性格を持ち始めた」(同上書p.65-66)

しかし、日本人がカリフォルニア州で嫌われた理由は何なのか。嫌われるようなことをしたのではないかといろいろ読み進んでも、どこにもそのような記述はないのだ。むしろ日本人はその地で華々しい活躍をしていたのだ。たとえば、

「日本人移民は西海岸にそれまで知られていなかった労働集約型の耕作方法を持ち込んでいる。彼らは土そのものの知識があった。土と作物との関係をよく理解していた。だから耕作しようとする作物に適合するように土壌を改良していった。肥料と施肥の方法にも専門知識を持ち合わせていた。開墾、灌漑、排水の知識に加えて、労力を惜しみなく注ぎ込む不屈の精神があった。こうして日本人移民は数々の農作物栽培のパイオニアとなった。
彼らが開墾した土地はカリフォルニアの肥沃なデルタ地帯だけではなかった。太平洋北西部の切り株だらけの木材伐採地などもあった。日本人を差別する記事を書き続けたサンフランシスコ・クロニクル紙でさえ『カリフォルニアの荒れた土地や痩せ地を豊かな果樹園やぶどう園や庭園に変えたのは日本人の農業技術だ』と賞賛するほどだった。

リビングストンの町は打ち捨てられて荒廃していたのだが、この町を豊かな耕作地に変えたのも日本人の農民だった。カリフォルニア北東部のネバダ州境にあるプレーサー郡の丘陵地帯では果樹栽培が失敗したまま放置されていた。日本人はここでも果樹園経営を成功させている。

後年、カリフォルニア人は日本人がカリフォルニアの最も肥沃な土地を独占したと非難したが、素直に事実を見れば、こうした土地はもともと限界的耕作地だったのだ。
漁業についても同じような傾向が見出せる。西海岸の漁業は昔から移民たちが就いた職業だった。日本人移民はここでも漁獲量を増やすのに貢献した。…
彼らはガソリンを動力としたエンジンをつけた船で、かなり沖合まで漁場を求めて出て行った。新しいタイプの網や釣針を考案し、エサも工夫した。その結果、1回ごとの漁獲高は大きく増えたのだった。また彼らは通年で漁をしたから、市場にはいつも新鮮な魚が溢れることになった。」(同上書p.125-127)

このように、カリフォルニア州に移住した日本人は大変な努力をし、社会にも貢献して生活の基盤を築こうとしたのだが、この州は日本人の努力を正当に評価してもらえるところではなかったのだ。

国民の歴史

西尾幹二氏の『国民の歴史』に当時の米国大統領であるセオドア・ルーズベルトの言葉が引用されている。
「日米間の人種的相違には極めて根深いものがあるので、ヨーロッパ系のわれわれが日本人を理解し、また彼らがわれわれを理解するのは至難である。一世代の間に日本人がアメリカに同化することはとうてい望めないので、日本人の社会的接触はアメリカ国内の人種対立をますます悪化させ、惨憺たる結果をもたらす。その危険からアメリカを守らねばならない。」(『国民の歴史』p.555)

「日本人は勤勉で節倹精神に富んでいるので、カリフォルニアが彼らを締め出そうとするのも無理はない。」(同上書p.556)

要するに日本人は、劣っていたからではなく、優れていたからこそ排斥されたのである。日本人の成功が、他の有色人種を刺戟し白人優位の世界を崩していくことを怖れたのであろう。ルーズベルトが守ろうとした「アメリカ」は「白人が有色人種を支配するアメリカ」であったと考えて良い。

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当たり前のことであるが、戦争というものは、相手国に戦争をする意志がなければ起こらないものである。
勝手に人種問題を焚き付けて世論を動かし、勝手にわが国を仮想敵国にして、挑発行為を繰り返し仕掛けた国はアメリカだったではないか。
「戦勝国に都合の良い歴史」ではこの事実に目をふさいで、戦争の原因が一方的にわが国にあるとするのだが、いつかこの偏頗な歴史が書き換えられる日が来ることを期待したい。
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