日露戦争以降、わが国は米国黒人の希望の星であった~~米国排日4
レジナルド・カーニー氏が『20世紀の日本人 アメリカ黒人の日本観1900-1945』という本を書いている。日露戦争でわが国が勝利した時に、黒人社会がわが国に対してどういう印象を持ったかについて述べている部分をしばらく引用する。

「東アジアの覇権をめぐる争いを繰り返した後、日本とロシアは戦争に突入した。黒人知識人たちは、白人の国であり、ヨーロッパの列強のひとつであるロシアと、東洋の近代有色人国家、日本との戦争勃発を探っていた。
『セントルイス・パラディアム』紙は「今世紀もっとも重要な歴史的事件」であるという見出しをつけて、日露戦争を報じた。アメリカ人全体がそう思っていたかどうかは別にしても、少なくとも白人と黒人に共通してはっきりしていたことは、日本人が白人をその特権的地位から引きずり降ろそうとしている、ということだった。
…この戦争を機に、黒人には人種関係の大きな転換期が見えたのだ。この国際的事件は、国内の人種問題以外には無関心とされていた黒人が、大いに関心を示したものとなった。黒人は、白人を打ち負かす能力を持った、同じ有色人種としての日本人のイメージを磨き上げていったのである。」(『20世紀の日本人』p.54)

カーニー氏の著書の中で、『インディアナポリス・フリーマン』紙の社説に次のような文章が掲載されたことが紹介されている。
「東洋のリングで、茶色い男たちのパンチが白人を打ちのめしつづけている。事実、ロシアは繰り返し何度も、日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入 れようとしている。有色人種がこの試合をものにするのは、もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、ついに今突き崩されようとしている。」(同上書 p.65-66)
「茶色い男たち」はもちろん日本人の事である。わが国はロシアとの戦いに勝利した。
この当時の米国黒人の知識人たちの反応のなかには次のようなものがあった。
「…おもな黒人の知識人やジャーナリストのなかには、白人支配を根底から覆し、黒人の地位を向上させる契機として、この戦争を捕えようとする者もいた。日本人という有色人種が、ロシアという白人国家を打ち負かしたのだから、黒人もやがてアメリカという白人優位国家に対して、同じことが出来るかもしれないと考えたのだ。
… 何と言っても、白人が有色人種を支配する人種構造はけっして真理ではなく、ただ創られた神話に過ぎないということを、明確に世界中に知らしめたのだから。この戦争を契機に、黒人は日本人が自分たちと同じ有色人種であったという同胞意識を、強く抱くようになった。…」(同上書 p.67-70)
当時の西洋社会では有色人種は白人より劣った人種であり、白人が有色人種を支配することは当たり前だという考え方が支配していたのだが、日露戦争でわが国が勝利したことが有色人種に与えた影響はかなり大きかったようなのだ。
またカーニー氏は、当時の『ニューヨーク・エイジ』紙にこんな記事が掲載されたことを紹介している。
「アジアは欧米の支配を受けないアジア人のためのものという信念が『黄禍』を生み出したとしたら、将来アフリカには『黒禍』なるものが生まれてくるであろう。」
「もし日本人が中国人に勇気と反抗の精神を植え付けることができたなら、高慢で横柄なノアの子孫たちは用心しておいた方がよいだろう。」
「高慢で横柄なノアの子孫たち」というのは白人のことを指している。
『旧約聖書』ではノアの息子たちはセム、ハム、ヤペテであることが記され、この3人はそれぞれ、セム=黄色人種、ハム=黒人種、ヤペテ=白人種の祖先になったとかなり古い時代から解釈されているようだ。

そして『旧約聖書』創世記9章にはこのようなノアの言葉が書かれている。カナンはハムの父である。
「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべ*らのしもべとなれ。」
また言った。「ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。
神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」
*しもべ:召使い、下僕
http://www.cty-net.ne.jp/~y-christ/reihai/reihai2011/reihai11.10.2.html
聖書この記述から白人による黒人支配が正当化され、西洋による有色人種の国々の植民地化が正当化されていた時期が長く続いたのだが、日露戦争における日本軍の勝利は、この白人優位の常識を覆したのだ。
カーニー氏が重要な指摘をしている部分を引用する。
「日本が…ただロシアをやっつけたというだけではなくて、白人が有色人種を支配するという神話を完全に打ち砕き、『他の呪われた有色人種たち』の秘めた力を引き出すきっかけを作った。それが日本だったのだ。
この頃から、デュボイスは**、ヨーロッパによる支配から有色人種を解放してくれる可能性のもっとも高い国として、日本を支持していた。ブッカ―・T・ワシントン派の有力な評論家は、日本人が『”白”という言葉の持つ近代の愚かなまやかし』をぶち壊したと言った。彼はまた『茶色と黒の人種』が日本人のあとに続くだろうと予言した。つまり、これこそが白人支配に脅威を与えた、いわゆる『黄禍』の本当の意味だったのだ。」(同上書 p.55)

**デュボイス:黒人運動の先駆的指導者。全米黒人地位向上協会の創立者(1868-1963)
またカーニー氏によると、インディアナポリスのYMCA黒人支部主催の討論会で次のような議論がなされたという。
「戦争の結果に暗示されたアジアの栄華とヨーロッパの衰退は、他の抑圧された有色人種たちの未来に、明るい兆しをもたらしたということ、であった。日本が中国をヨーロッパから解放してくれる……ひとたび日本と中国との関係が強化されれば、インドやアフリカや東南アジアをも、白人支配の手から救い出す大きな力になり得る、と考えたのだ。」(同上書p.69)
これらの文章を読むと、なぜアメリカで『黄禍論』が急速に広まったかがよくわかる。
アメリカに日本人が移住してから、アメリカに奴隷として送られてきた過去を持つ黒人や、移住してきた有色人種達が日本人の活躍をみて刺戟され、白人優位の社会に疑問を持ち始め、地位改善のための活動を始め出していたののだ。
白人たちは、早いうちに手を打たないと、いずれは世界中で有色人種たちが白人に抵抗するようになり、永年にわたり白人が築き上げてきた白人優位の世界が崩壊していくきっかけとなるとの危機感を持ったということではないか。
しかしながら、日本人は集団で犯罪行為を行っているわけでもなく、正常な経済活動を行っているにすぎない。これでは普通のやり方で日本人の勢力を排除することは不可能である。
そこでアメリカ白人たちは、別のやり方で日本を孤立させ、経済的に追い詰めていくことを考えた。
カリフォルニア州で起きていた排日運動を巧く利用し、二流三流のメディアを使って黄禍論を全米で煽り米国世論を反日にシフトさせた。そうして日本人がアメリカで築いた経済基盤を破壊し、さらに中国にも排日思想を植え付けてわが国の企業が苦労して築き上げた中国大陸の商圏を奪い取り、かつ黄色人種同士を相争わせることで日本の勢力を弱め、かつアジアで黄色人種が纏まることがないようにしたということではないのか。
黒人たちが望んでいたことは日本と中国とが手を結び、まずアジアが黄色人種で纏まることであったが、アメリカはそれを許さず、素早く黄色人種の間に対立軸を組み込んだのである。中国の排日については、今までこのブログで何度か書いたので繰り返さないが、これを仕掛けたのは英米であったことは当時の記録に残されているのだ。

第1次世界大戦が終焉し、1919年にパリ平和会議が開かれる。そこでわが国は人種差別撤廃を講和条件に盛り込むことを強く主張したのだが、標準的な教科書である『もういちど読む 山川日本史』では、アメリカの排日運動については何も触れずに、
「…パリ平和会議の結果、日本は、山東半島の旧ドイツ権益の継承、国際連盟の委任による赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島(サイパン島など)の統治を認められた。しかし中国は日本の山東権益承継に強く反対し、大規模な反日民族運動(五・四運動)が展開された。また日本がこの会議に提出した人種差別撤廃法案は、アメリカなどの大国の反対で採択されなかった」(『もういちど読む 山川日本史』p.278)
と書かれているが、この記述はフェアなものではない。
わが国がパリ平和会議で人種差別撤廃条項を盛り込むことを主張したのは、日本人自身がアメリカで不当な人種差別を受けてきたことや、英米が中国の排日を仕掛けたことを抜きには考えられない。以前このブログで書いた通り、五・四運動の背後には英米がいたのだ。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-238.html
『山川の日本史』の文章をいくら読んでも、そのような背景を理解することはできない相談だ。この文章を普通に読めば、日本が悪い国であったので、人種差別法案が採択されなかったと理解する人が大半だろう。
『山川の日本史』のこの部分だけが問題だというのではなく、概してわが国の教科書や通史における近・現代史の解説文においては、『戦勝国にとって都合の悪い史実』が記されていない。それが問題なのである。
パリ平和会議のことを書き出すとまた長くなるので、次回のテーマとすることにしたい。
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