スターリンが朝鮮戦争に米国を誘導したことを示す極秘文書が発見されている
韓国の新聞である『中央日報』が2008年6月に報じた記事を、その日本語版のホームページで誰でも読むことができる。ちょっと長いが、全文を引用させていただく。
韓国の新聞なので「朝鮮戦争」とは呼ばず「韓国戦争」と書かれているが、同じ意味である。
http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=101713&servcode=200§code=200
http://japanese.joins.com/article/714/101714.html?sectcode=&servcode=200§code=200

「スターリンが米に韓国戦争参戦を誘導していた…極秘文書発見
派兵しやすいよう、安保理拒否権を行使せず
ヨシフ・スターリン・ソビエト連邦(現ロシア)書記局長が1950年、韓国戦争に米国を参戦することを希望、戦争勃発直後に招集された国連安全保障理事会にソビエト連邦が参加しなかったのも、米国の参戦を誘導するための緻密な計算であったことを示す文書が公開された。
またスターリン書記長は中国も戦争に加担させることにより、米国と中国が韓半島に踏みとどまざるを得ない状態をつくる戦略を立てていたことが明らかになった。
このような事実は1950年8月27日、スターリン書記局長がチェコスロバキアのクレメント・ゴットワルト大統領に送った極秘文書を通じ、明らかになった。
文書でスターリン書記局長は、この年の7月初旬に開催された国連安保理でソビエト連邦が国連軍派兵に拒否権を行使しなかったことに対するゴットワルト大統領の問題提起に対し『安保理で、米国が多数決決議を得られやすくしたもの』と説明した。またスターリン書記局長は『これによって、米国は韓国での軍事介入に巻き込まれ、軍事的威信と道徳的権威を失いつつある』と主張した。
スターリン書記局長は特に『米国が韓国戦争の介入を続け、中国まで韓半島に引き込まれる事態になればどんな結果になるのか考えてみよう』とし『ヨーロッパで社会主義を強化する時間を稼ぎ、国際勢力の均衡により、私たちに利益を抱かせるだろう』と強調した。
スターリン書記長の文書は、北京大学歴史学部のキム・ドンギル教授が2005年にロシアの3大国立文書保管所のひとつである社会政治史文書保管所(RGASPI)から入手した旧ソビエト連邦の資料(文書番号fond 558、opis 11、delo 62、listy 71~72)に含まれていた。スターリン書記局長が韓国戦争について開戦前後の国際情勢と、自分の戦争構想を具体的に言及した文書が公開されたのは今回が初めてだ。この文書はスターリン書記局長が米国の介入を懸念し、金日成(キム・イルソン)主席の南下侵略の計画に反対したという通説を覆す内容が含まれている。
文書の最後に、スターリン書記局長は撤収した国連安保理にソビエト連邦が復帰すると言い『これは米政府の好戦的な政策を暴露し、米国が安保理を利用するのを防ぐために効率的だったからだ』と書かれている。
スターリン書記局長は一級機密に分類された文書の保安維持のため、暗号名“Filippov”(フィリッポフ)を用い、プラハ駐在のソビエト連邦大使に『口頭で、ゴットワルトに伝えろ』と指示した。
文書を分析し『ゴットワルト大統領に送ったスターリンの文書と韓国戦争の起源』という研究論文の執筆を終えたキム教授は『スターリンが戦争を認めた背景を含め、韓国戦争の起源を新しい角度から説明する文書だ』と話した。キム教授の研究結果は、キム教授が客員研究員であった米国のワシントンにあるウッドロー・ウィルソンセンターの『国際冷戦史プロジェクト』論文集に今月25日、発表される予定だ。
◇スターリン
ロシア社会主義革命を率いたレーニンの後継者でソビエト連邦共産党の書記局長を務めた。1922年から亡くなるまで(1953年)、31年間にわたりソビエト連邦を独裁統治した。第2次世界大戦終戦後、米国と対立しながら冷戦の象徴人物となった。」(引用終わり)
ネットで検索していくと、この記事に書かれているウッドロー・ウィルソンセンターのサイトにキム教授の該当論文が見つかったが、英語は弱いのでとりあえずURLだけ紹介しておく。どこかに邦訳があれば、ご教示いただければありがたい。
http://wilsoncenter.org/sites/default/files/NKIDP_eDossier_1_Origins_of_the_Korean_War.pdf
少しだけ補足と、私なりの解釈を書かせていただく。

スターリンの極秘文書の宛先であるゴットワルトは、1921年にチェコ共産党の創設に関わり、1945年以降チェコ共産党委員長となり、1948年から1953年まではチェコスロバキアの大統領を兼務した人物である。スターリン主義者で知られ、多くの政敵を粛清したが、1953年3月にスターリンの葬儀から帰国した5日後に病死している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%83%88
前々回の記事には書かなかったのだが、米英仏露の4か国は国際連合の安全保障理事会で拒否権を有していた。したがって、1950年7月に開催された国連安保理でソ連が拒否権を発動していれば国連軍の派遣はなかったし、戦車や重火器を大量にもつ北朝鮮軍が、僅かな大砲を持つだけで兵力の劣る韓国軍を緒戦で圧倒し、簡単に勝利することは確実であった。
では何故、ソ連は国連安保理で拒否権を発動せずに、安保理を欠席したのか。
冒頭で紹介した『中央日報』の2008年6月に報じた記事は、ゴットワルトがスターリンにソ連が安全保障理事会で拒否権行使せずに欠席した理由を質問したことに対するスターリンの回答文書が発見されたことを書いているのだが、その記事によるとスターリンの回答は、安保理を欠席することで米国が多数決で国連軍の朝鮮戦争参入を決め、朝鮮戦争に介入させて中国まで引きずり込めば、ヨーロッパで社会主義を強化でき、社会主義国家にとってメリットがあるという趣旨のものであったようだ。
よくよく考えると、このスターリンの回答は、ソ連側が米国の中枢部をコントロールできるという確信がなければ絶対に書けないことを書いている。
もしアメリカが韓国に、充分な兵士とともに最新鋭の武器や弾薬や戦車を送り込んでいたら、北朝鮮軍の勝利ははじめからあり得ない話なのだ。ではなぜスターリンは、国連軍が朝鮮戦争参入を決定すれば、国連軍を中国までひきずり込むことができると考えたのか、それが問題だ。
前回および前々回の記事に書いたとおり、トルーマン大統領のスタッフには数百名のソ連の工作員、スパイやエージェントがいたことが、『ヴェノナ文書』の解読が進んで明らかになっているのだが、そのことを抜きにしてはこの謎は説明できないと思うのである。
一般的な日本史の教科書である『もう一度読む 山川日本史』には、「朝鮮戦争」についてこう書かれている。
「1950年6月、朝鮮半島では北朝鮮軍が北緯38度線をこえて韓国に侵攻を開始した(朝鮮戦争)。国際連合の安全保障理事会は北朝鮮を侵略者として武力制裁を決議し、アメリカ軍を中心とする国連軍が韓国側に立って参戦した。一方、北朝鮮側には中国人が人民義勇軍の名で加わり、はげしい戦闘がくりかえされたが、1953年7月、板門店で休戦協定がむすばれた。」(p.322)
淡々と史実だけが記されているような印象をほとんどの人が受ける文章なのだが、ソ連については一言も書かれていないのはフェアではないだろう。
少なくとも、北朝鮮軍の兵器や戦車はソ連から支援を受けていたことや、国際連合の安全保障理事会でソ連が拒否権を行使すれば国連軍の組成は出来なかったはずであったにもかかわらず、ソ連は安全保障理事会を欠席したために国連軍の派兵が決定したという史実は書くべきではないかと思う。
それと、もう一つ教科書に書くべき重要なことがある。この朝鮮戦争における死傷者が半端ではなかったことだ。
Wikipediaによると、韓国軍は約20万人、アメリカ軍は約14万人、国連軍全体では36万人が死傷し、中共の公式発表による中国人民志願軍の戦死者は11.4万人、戦闘以外の死者は3.4万人、負傷者34万人と書かれているが、この戦争の犠牲者は兵士よりも民間人の方がはるかに多かったという。
朝鮮戦争でアメリカ空軍および海軍航空隊が投下した爆弾の総重量は60万トン以上で、第二次世界大戦でわが国に投下された16万トンの3.7倍なのだそうだが、100万人から200万人の民間人犠牲者が出たと言われている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89#cite_ref-39

また韓国の李承晩大統領は、朝鮮戦争勃発を受けて共産主義からの転向者やその家族を再教育するための「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人など、少なくとも20万人以上を虐殺した(「保導連盟事件」)というし、北朝鮮の金日成も韓国の一般市民数十万人を「反共産主義の反動分子」との罪名で大量虐殺している。
ソウルのように北朝鮮軍と国連軍が入れ替わり立ち代わり占領したところでは、見境のない殺害と報復が繰り返されたという。
次のURLで、朝鮮戦争時の韓国軍や北朝鮮軍による虐殺現場の写真を見ることが出来る。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/1222ChoosenWar.html
全体では400万人から500万人の犠牲者が出たという話もあるが、その数字だと当時の朝鮮半島の人口は約3000万人だから、全人口の13%~16%程度の人々が犠牲になったことになる。
お隣の国では、これだけの民間人の犠牲者が出ているにもかかわらず、未だに追悼碑を設置する動きがないのだそうだ。このような史実は民族の歴史には残したくないものなのかもしれないが、これでは朝鮮戦争の犠牲者はいつまでたっても浮かばれないことになる。
ところで朝鮮戦争は1953年に休戦に至り北緯38度線を軍事境界線として南北に分断されたが、両国の間に平和条約は結ばれておらず、国際法上ではこの戦争は終わったことになっておらず、長い間「休戦中」の状態にあった。しかるに今年になって、東アジアの状勢が怪しくなってきている。

今年の3月11日に北朝鮮は朝鮮労働党機関紙の労働新聞で、国連や中国との間で結んだ朝鮮戦争の休戦協定を白紙に戻すと言明したと報道され、6月7-8日には中国の習近平国家主席はオバマ米大統領との首脳会談で今後の米中関係について「新型の大国関係」を主張し、「太平洋には米中両大国を受け入れる十分な空間がある」と語ったという。この言葉は、中国が韓国や日本や台湾などで紛争しても、アメリカは口出しするなと言っているのと同じだ。
また10月2日にはアメリカのヘーゲル国防長官と韓国のキム・グァンジン国防相がソウルで会談し、北朝鮮が核兵器を使用する確実な兆候をつかんだ場合には、米韓両国の軍があらゆる戦力を動員して先制攻撃を行うことで合意したという報道があり、10月3日のTHE WALL STREET JOURNALのサイトには、北朝鮮は日本での情報収集能力を高めるため、ベテラン工作員を事実上の在日大使館の幹部として起用したとのニュースが流れている。
http://realtime.wsj.com/japan/2013/10/03/%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%80%81%E5%AF%BE%E6%97%A5%E8%AB%9C%E5%A0%B1%E6%B4%BB%E5%8B%95%E3%82%92%E5%BC%B7%E5%8C%96%E2%80%95%E3%83%99%E3%83%86%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%B7%A5%E4%BD%9C%E5%93%A1%E3%82%92/

1993年に中国を訪問したポール・キーティング豪首相(当時)に対して、李鵬首相(当時)が「日本は取るに足るほどの国ではない。20年後には地上から消えていく国となろう」と語ったことは有名な話だが、今年はちょうどその言葉が発された20年後の年になる。
世界の先進国の中でスパイ防止法がないのはわが国だけなのだと言われており、わが国には北朝鮮や中国だけでなく米韓ロなどの「工作員」がマスコミや教育機関などで多数活動していて、「スパイ天国」とも言われている状態だ。
青山繁晴氏が日本の公安当局に北朝鮮の工作員の数を以前質問したことがあり、その数はおおよそ2万人程度でコアなメンバーは500人程度との回答であったと述べているが、米中韓ロにはもっと多くの工作員がわが国にいてもおかしくないだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=b9XLubXKrsI

今年に入って尖閣諸島の日本領海への中国側艦艇の侵入がますます頻繁になってきた。韓国も反日を煽り続け、北朝鮮も対日工作を強化しようとしている…。20年前の李鵬の言葉と今年6月の米中首脳会談における習近平の発言とどこかつながりがあるのではないかと気になるのだが、中国と周辺国の工作員が今年をターゲットにしていて、具体的にわが国の領土を奪い取ろうとしている可能性を感じるのである。
これから先、いつか東アジアできな臭い事が起こるのではないかと心配だが、わが国はいつまでも自国の防衛の過半をアメリカに頼って大丈夫なのか。資金不足で自国の政府機関をも一部閉鎖せざるを得なくなったようなアメリカで、同盟国を守るために自国の軍隊を派遣することについて米国民の支持が得られないことも考えておく必要がある。
わが国も他国と同様に、わが国における他国のスパイ活動を取り締まり機密情報を守る一方、他国の情報は自前で集めて、自分の国のことは自分で守る体制に次第に移行していくことが、これからますます必要になっていくのだと思う。
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