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『ポツダム宣言』の各条項が決まるまでの経緯と公表後の日本の反応~~ポツダム宣言2

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Category太平洋戦争
前回の記事で、『ポツダム宣言』がわが国に対し戦争を終結させるための条件を提示した文書である事を書いた。 実はこの『ポツダム宣言』が公表される前に、連合国側がわが国に提示しようとしていた天皇制維持に関する重要な部分が削除されたことを最近知った。
しばらく鳥居民氏の解説を引用する。

鳥居民

ポツダム宣言は公表に先立ち、削除した箇所があることはだれもが承知している。全13節あるうちの第12節の後半の部分が取り除かれた。つぎのくだりである。
ソノ政府が侵略ノ野心ヲ二度ト抱カナイコトヲ世界ニ完全ニ納得サセルニイタッタ場合ニハ、現在ノ天皇家ノモトデ立憲君主制ヲ維持スルコトガデキルモノトスル
 これをつくったのは国務長官代行のジョゼフ・グルーと言われているが、ヘンリー・スティムソン陸軍長官の部下が作成したのであり、スティムソンの案だった。グルーの考えそのものだったから、グルーは『われわれの案』だと言い、ジェームズ・フォレスタル海軍長官もその第12節後半の文章に賛成した。
 陸軍省がつくり、国務省と海軍省の首脳が支持した対日宣言案がそのまま公表となれば、鈴木貫太郎首相から阿南惟幾陸相まで、だれひとり反対せず、その宣言を受け入れ、原爆投下前に日本は降伏することになる
ところでハリー・トルーマン大統領の唯一の相談相手になっていたジェームズ・バーンズは、ソ連を脅かそうとして、どうあっても日本の都市に原爆を落とすつもりでいた。自分に代わって、第12節の後半を削ってくれる人物を探した。ポツダムへ向う前日、かれは元国務長官のコーデル・ハルにその宣言案を送り、第12節の是非を問うた。…ルーズベルトに疎んじられていたハルは、原爆の製造を知らなかった。もちろん、投下の計画を知るはずはなく、アメリカが直面する国際情勢にも無知だった。第12節後半を削除し、ソ連の対日参戦を待つべきだと元国務長官は新国務長官バーンズに打電した
バーンズは自分の手を汚すことなく、原爆投下のお膳立てをつくったのである。」(文春文庫『日本よ、「歴史力」を磨け』p.232-233)

200px-James_Francis_Byrnes,_at_his_desk,_1943

少し補足すると、ジェームズ・バーンズは1945年7月3日に米国国務長官に就任した人物で対日強硬派であった。そして着任早々の7月6日に国務省はスティムソン案のさらなる改定を要求し、7月7日の幹部会で紛糾したのちに、バーンズが元国務長官のコーデル・ハルに相談したようである。
では、元国務長官のハルがバーンズに対し、第12節後半を削除しソ連の対日参戦を待つべきだと打電した意図は何だったのか。
もし日本に立憲君主制の継続を容認するような和平勧告を出せば日本は受諾して戦争が終わってしまう可能性が高かった。それでは都合が悪いとバーンズが考えたのでハルに相談したのだろうが、ハルの回答に少なからず違和感を覚えるのは私だけだろうか。なぜハルは、原爆開発の情報を入手したにもかかわらず「ソ連の対日参戦を待つべきだ」と答えたのか

1945年2月のヤルタ会談で、ソ連はドイツ降伏後3ヶ月での対日参戦を約束していた。そしてドイツは5月8日に降伏した。したがって、ソ連は8月上旬には参戦するものと考えられていたが、その具体的日程についてはソ連からはまだ回答がなかった
一方アメリカは、7月上旬には原子爆弾をほぼ完成させており、実験に成功すれば太平洋戦争にアメリカが単独で勝利できる可能性が一気に高まることは言うまでもない。もし原爆実験が成功した後にソ連を参戦させてしまうと、ソ連を戦勝国の仲間に入れるということであり、アメリカはほとんど血を流さなかったソ連にも勝利の配当を分け与えなければならないことになってしまう。
アメリカが原爆開発を急いだ理由や、広島・長崎に相次いで原爆を落とした理由は、ソ連に漁夫の利を得させないという米国の強い意志の表れではないのか


180px-Hull-Cordell-LOC.jpg

ところでコーデル・ハルといえば、彼が国務長官であった1941年11月に日米交渉において「ハル・ノート」を提示し、それが日本側の外交交渉断念を招いて開戦のきっかけを作ったことで知られている人物だ。そして、「ハル・ノート」を起草したのは、財務次官であったハリー・ホワイトで、この人物がコミンテルンのスパイであったことが、戦後に解読されたソ連の暗号文書(「ヴェノナ文書」)で判明している
ルーズベルト、トルーマン政権下のアメリカの国務省には多数の共産主義者が勤務していたことも「ヴェノナ文書」で明らかになっているが、バーンズ国務長官がハルに相談した内容の多くはソ連に筒抜けだったのではないか。当時、原爆がほとんど完成していたという情報はアメリカにとっては重要機密であったはずなのだが、このような情報がポツダム会談の直前に、ハルに近い人物を通じてソ連に流れた可能性を感じている。

ポツダム会談

というのは、7月17日からドイツベルリン郊外のポツダムで米英ソ3か国の首脳が集まってポツダム会談の、会議の始まる直前にスターリントルーマンに8月15日頃の対日参戦の意を伝えているからだ
トルーマンはこれで日本に勝利できると喜んだそうが、その翌日に原爆実験 (トリニティ実験) 成功の知らせを受け、それ以降のトルーマンは会議で豹変したという

ポツダム会談について詳述されている山下祐志氏の論文の一部を紹介したい。
http://ci.nii.ac.jp/els/110000980158.pdf?id=ART0001156844&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1386988410&cp=

トルーマン,_1945

「…『原爆実験成功』の報告を受けたトルーマン大統領は、瞬時にして完全に連合国の支配者になったチャーチル首相の見たトルーマン大統領は『別人のようになり』、『ロシア人に対し、かれらが、どこで乗り、どこで降りるかを指示するように話だしたし、全体として会議そのものを支配した』という。なぜならば、ポツダムにおいて、『つねに自己の利益ばかりを強引に計る冷酷な駆け引き人』という印象をスターリン首相に対して抱いた大統領は、『ロシアを日本管理にいささかも加わらせまいと決意した』からである。さて、かかる決意を固めた米首脳部にとって、残された課題は、日本の早期降伏(できればソ連参戦以前に)を誘導することであり、手段として原爆使用と対日声明発出のタイミングが論議の対象となった。
 スティムソン陸軍長官は、日本の和平の動き(対ソ工作)を見て、先ずこの会談で直に対日声明を発することを決意した。日本がソ連の懐に飛び込むことを嫌ったからである
。そして、それでも日本が受諾しない場合には、『新兵器』の行使と『ロシア実際の参戦』を背景に、いっそう強力な警告を再度発することを提言した。一方、バーンズ国務長官は、原爆の威力を誇示した上で対ソ外交を展開しようと考えており、声明の発出を時期尚早としてこれに反対した。そこでトルーマン大統領は、JCS(統合参謀本部)の意見を求めた。リーヒJCS議長は18日、対日声明の即時発出に賛意を表しつつ、ただ『立憲君主制』のくだりは、抽象的に『日本国民は自らの政治形態を選択する自由をあたえられる』と改めることをもとめ、この点で先の国務長官の見解を支持した。陸軍長官は20日、この修正に同意するとのメモを大統領に送るが、同時に、7月2日付草案第2項の『日本の無条件降伏まで』を、『日本が抵抗をやめるまで』と改めることを申し出た。これにより、国家の無条件降伏を示す箇所は消え、13項の「全軍隊」のそれのみが文面にのこることになった。」(『アジア太平洋戦争と戦後教育改革(11)――ポツダム宣言の発出』p.16)

それから7月24日にイギリスに声明案が提示され、翌7月25日にチャーチルが修正案を回答した。その内容は声明が呼びかける対象を「日本国民」から「日本」「日本政府」に再度変更すること、民主化の主体を「日本政府」と明記すること、占領の対象を「日本領土」から「日本領土の諸地点」に変更すること、の三点であった。トルーマンはイギリスの修正を全面的に受け入れ、声明発出の準備を行うとともに原爆投下命令を承認した。
かくしてポツダム宣言』は、ソ連側に何の口を差し挟むことが出来ないうちに、7月26日、突如として全世界に向けて発信されたのである。

ところでトルーマンの7月25日付の日記には「日本がポツダム宣言を受諾しないことを確信している」と書かれているそうだ。トルーマンの頭の中では、天皇制に関する条項を削除したことにより、日本はこの『ポツダム宣言』に反応せず、それによって原爆を落とすことが出来ると考えていたことになる

次に『ポツダム宣言』に対するわが国の反応を見てみよう。

ポツダム宣言記事

これについてはWikipediaに詳細に書かれているが、この宣言の発表を受けてわが国政府は、その内容について公式報道はしても内容についての公式な言及をしないということが閣議決定され、7月27日に宣言の存在を公表した。翌日の新聞報道では読売新聞では「笑止、対日降伏条件」という見出しだが、このように主要各紙はこの宣言を黙殺して断固戦争完遂に邁進するのみといった論調だったようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80

しかしながら政府がこの宣言に対し何も言及しないのでは兵士の士気にかかわるとの軍部の圧力に押され、7月28日に鈴木首相は新聞記者団との会見において、閣議決定を無視して「政府としては何ら重大な価値あるとは考えない、ただ黙殺するだけである。我々は戦争完遂にあくまでも邁進するのみである」と答えてしまう。この発言が連合国においては日本側の拒絶回答と解釈されて、原爆投下やソ連参戦の口実を与えてしまうことになるのだ

ではなぜわが国は、『ポツダム宣言』に対して公式な言及をしないことを閣議決定したのだろうか。
この理由は、この期に及んでもわが国政府は、ソ連に和平の仲介を期待しその回答を待っていたからだというのだ。

ポツダム会談が開かれる少し前の6月22日の御前会議でソ連に和平斡旋を行うよう政府首脳に要請し、7月12日に近衛文麿が正式に特使に任命され、外務省から特使派遣と和平斡旋の依頼をソ連に申し入れていたのだが、ソ連はヤルタ会談でドイツ降伏後3か月以内の対日参戦で合意しており、日本政府の依頼を受ける気はなかったようだ。
そもそも、米英ソ3国の首脳が集まって、ポツダム会談であのような宣言が出た段階でもソ連の回答に期待するというのは信じがたい話で、わが国の外交センスのなさと情報収集力の弱さは昔も今も変わらない。

もしわが国が早期に『ポツダム宣言』受諾を決意していれば、戦後の歴史は相当違ったものになっていたはずなのだが、原爆が投下されてからも、マスコミの動きも軍部の動きもどこかおかしいのだ。
山下祐志氏の別の論文で、『ポツダム宣言』を受諾するまでのわが国の動きが詳述されている。しばらく引用させていただく。
http://ci.nii.ac.jp/els/110000980223.pdf?id=ART0001156933&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1387097098&cp=

「ポツダム宣言発表以来、これといった策を打ち出せないまま、一途にソ連の回答を鶴首していたところ、8月6日午前8時過ぎ広島に原子爆弾が投下された。7日朝、米側ラジオはトルーマン大統領の声明として、『6日広島に投下した原子爆弾は戦争に革命的な変化を与えるものだ。日本が降伏しない限り、さらに他の場所にも投下する』と伝えてきた。しかし、わが国軍部は原爆の開発は技術的にまだ不可能と信じていたこともあり、敵の謀略宣伝かも知れぬと主張して発表を禁じた。原爆であることが確認された(8日夕刻)後にも、軍部は国民の反応を恐れ、事実を覆い隠そうと画策した。すなわち、公的に『原子爆弾』との発表は終戦までなく『新型の特殊爆弾』と銘打ったまま、トルーマン声明に『迷ふことなく各自はそれぞれの強い敵気心をもつて防空対策を強化せねばならぬ』とか『新型爆弾決して怖るに足らず』と逆宣伝に躍起となった

昭和天皇

 国民に事実を隠蔽したまま、いち早く8日午前、東郷外相は宮中地下室で天皇に原爆についての外国報道の詳細と『ポツダム宣言』を受諾するほかないとの判断を上奏した。天皇は『この種武器が使用せらるる以上戦争継続は愈々不可能となれるにより、有利なる条件を得んがために、戦争終結の時期を逸するは不可なり』、『成るべく速かに戦争の終末を見るよう努力せよ』と沙汰を下した。…
 同日午後5時、モスクワの佐藤大使は、ポツダムから帰ったモロトフ外相とようやく会見を許された。モロトフ外相は、和平依頼の返答を求めに赴いた佐藤大使の発言を制して、わが国がポツダム宣言を拒否したために、ソ連政府は連合国の要請を受けて『明日即ち8月9日よりソヴエート連邦が日本と戦争状態に入る旨宣言する』と対日宣戦の布告文を読み上げた。原爆投下に対して、ソ連政府はわが国よりも機敏に対応し、予定よりも6日早い参戦であった。佐藤大使はただちに本省宛至急電を打ったが、それはソ連政府に妨害されて届かなかった。数時間後、ソ連極東軍は国境を越えて満州に侵入し、関東軍に襲い掛かった。ここに、ソ連に託した和平工作の一縷の希望は、ものの見事に吹き飛んだ。」(アジア・太平洋戦争と戦後教育改革(12) : ポツダム宣言の受諾 p.4)

では、ソ連が参戦してわが国は『ポツダム宣言』の受諾の意思をすぐに固めたかというと、そうでもなかったのである。アメリカと同様にわが国の中枢にも、ソ連に対日参戦させて日本の領土を奪わせようとした人物が少なからずいたと思われるのだ。

受諾に至るまでの経緯は、次回に記すことにする。

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2013/12/20 (Fri) 00:43 | EDIT | REPLY |   

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2013/12/20 (Fri) 20:13 | EDIT | REPLY |   

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2013/12/23 (Mon) 08:31 | EDIT | REPLY |   

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No title

最初の書き出しからアホくさい。
あなたの文章ではなくて、鳥居氏の文章のことね。
憲法であれ、法律であれ、条約であれ、一切読み解く知識がない人の書き方。この人は一度も専門書等で調べる作業をしていないと断言できるような書き方。
そして次にこの人の「解説」なるものが正しいかどうかはもう少し他の本も調べた方がいいと思う。なんだか「唯一の正解」のように書いているけど、全然そうじゃないから。
このブログ、情報源が偏ってる傾向を感じるけど、私なら冒頭のこの本で「歴史」は勉強しないね。もし他の議論の紹介であったり、自己の主張の根拠を明示していないのなら歴史以前に学問的なイロハをわかってない人で(今話題の小保方論文みたいなこと)、現にそういった傾向は出ている。
そして、失礼だけど、それはあなたからも感じる。

2014/03/23 (Sun) 01:53 | EDIT | REPLY |   

しばやん  

Re: No title

現実の世界をどう見るかで様々な考え方があるように、歴史をどう見るかも様々な考え方があって当たり前です。また公式記録には表に出せないものを記述しないことが大半ですから、それだけに依存してはわからないことが良くあります。なぜそのような決断を下したかについては、ある程度論者の推測が入るのは当然です。
わたしにとっての歴史の勉強は公式記録や通説の訓詁学ではありません。当時の記録を調べて事実を積み重ねながら、いくつかの異論を読み比べて、本当は何があったのかを自分で考える作業です。この記事では鳥居氏の意見を紹介しましたが、鳥居氏の解釈がすべて正しいというつもりで書いたのではありません。

2014/03/23 (Sun) 10:05 | EDIT | REPLY |   

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No title

>歴史をどう見るかも様々な考え方があって当たり前です。
それは当然。
問題は「歴史を作ってたら」それは妄想だよね、どうやってそこと区別した「歴史」を語るか?ってところ。異論はないでしょ?
さすがに歴史でもなんでもない「妄想」を「様々な考え方」というわけじゃないでしょ。
そうなると、どのように区別するかという方法論が問題になるわけだ。ところが、この方法論を無視して「歴史」を語っているように見えることが多いのが所謂保守系の人が語る歴史。
一つは、あなたはあなたの言い方を借りれば「推測」とか「解釈」というのが入るのは当然といいます。それはその通り。
ですが「そうじゃない部分」とはっきり区別しているのか?ということが問題です。つまり、議論がない箇所、共通理解の得られている箇所とはっきり区別しているのか?逆に言えばこの箇所が「推測」「解釈」とわかるように言及しているのか。
完全に混同しちゃってるよね、鳥居氏の説明は。
しかも「解釈」であれ、「推測」であれ、なぜそう考えたか?くらい言及しないと説得力もクソもないけど、見事に存在しない。こうなってくると妄想以外にどう評価すればいいだろうか。
また『ソノ政府が侵略ノ野心ヲ二度ト抱カナイコトヲ世界ニ完全ニ納得サセルニイタッタ場合ニハ、現在ノ天皇家ノモトデ立憲君主制ヲ維持スルコトガデキルモノトスル』
この謎のなんちゃって文語体で噴出したりしない人には読むことに忍耐はいらないだろうけど、普通の知性からしたら、こんなことを平気で書ける人に『日本よ、「歴史力」を磨け』なんて、ブハッ(笑)、となるのが普通じゃないかな。(「が」が一文字だけ平仮名になってるとかそんな誤記を言ってるわけじゃないよ)
とにかく、この人は自分で調べるという大学1年生くらいでもやる作業をさぼって書いてるわけで(「節」と「項」とかね)、それをそのまま引用しちゃえば、引用する人もそういうレベルなんだろうなという評価を受けるのが通常ですから(引用先を選択するのは引用者の責任だ)、
>鳥居氏の解釈がすべて正しいというつもりで書いたのではありません。
というのなら、その点が文章からわかるような書き方をしたほうがいいと思いますよ。
同じように、こんな程度の本を平気で出版する会社であったり、編集者は私なら最低評価かな(私は読んでないから言い過ぎかもしれないが、この箇所だけでも「歴史」を語る資格があるかどうか相当怪しい)。
つまり、このあたりのことが一切わからない素人向けに売ってる「ビジネス」歴史ってことでいいんじゃないかな。ご用心あれ。

2014/03/23 (Sun) 18:23 | EDIT | REPLY |   

しばやん  

Re: No title

鳥居氏の引用部分は有名な部分ですけどね。アメリカの史書にも多数引用されていることがネットで確認できます。
鳥居氏は当時の訳文をそのまま紹介されたのだと思いますが、ポツダム宣言の草案中の該当箇所は12項目目の後半です。原文はこうなっています。ご参考までに。

This may include a constitutional monarchy under the present dynasty if it be shown to the complete satisfaction of the world that such a government will never again aspire to aggression.

http://nuclearfiles.org/menu/library/correspondence/stimson-henry/corr_stimson_1945-07-02.htm

2014/03/23 (Sun) 19:38 | EDIT | REPLY |   

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No title

えーと、ポツダム宣言の草案のことはしってますけど。
そんなこと言ってないでしょ。
そうじゃなくて、読めばわかると思いますが、この文語体はどっから登場したの?と云う話。
本当に当時の訳文なのこれ?出典を明示してない?
例えば、戦前の法令を見て御覧なさいな、こういう書き方しないから。多分自分で訳したものを自分で文語体にしてると思うよ。
あとさっきも指摘したけど「節」をこんな箇所で使うことは法律を読む機会があれば「絶対にない」使い方であって(何条って上の括りで使うもの)、これも酷いわけ。

削除した人物はあれこれ全部かっ飛ばして、ハル登場なわけでしょ、なんか凄いね。

2014/03/23 (Sun) 23:20 | EDIT | REPLY |   

しばやん  

Re: No title

あなたの今までのコメントを読んで、文語文の翻訳文が気に入らないというだけの話だとは、だれも思わないでしょうね。英語の原文が存在するのですから、誰が訳したのか、訳文がまずいかはそれほど大きな問題ではないと思います。

鳥居氏が語っていることはスティムソンの日記に書かれていることですが、そのことも御存知でしたか。
http://www.doug-long.com/stimson9.htm

2014/03/24 (Mon) 00:45 | EDIT | REPLY |   

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No title

>この謎のなんちゃって文語体で噴出したりしない人には読むことに忍耐はいらないだろうけど、
これで、「ポツダム宣言の草案」が存在しない、と読めるんだ。
噴出すポイントがわからないから、その辺が平気なんでしょ。
自分が知らなかったから相手も知らないと先入観で思い込んだだけじゃないの?
むしろ私は(適当に書き捨てたのは確かだが)どこがそう読めたのかがわからない。教えてください。

違うなら指摘して欲しいが、彼のこの謎の文語体の出典は?当時のものなの?
私が「ブハッ」となったのは、今時自分で訳した文章を、自分で文語体にして「それっぽくする作業」をしている姿を想像して笑っちゃったわけですよ。わからないかもしれませんが。そんなことやったことがない人が、無理して考えてるのを想像してね、おまけに写真なんか載ってるものだから尚更想像が膨らんで笑ってしまったの。
で、そう思ったのはこの文語体は「不自然」なわけ。この不自然さ、違和感さがわからない人には平気なんでしょうけど、私はそこから上記の想像をして「ブハッ」となったというわけ。また手元にある本の訳文(文語体)とも全然違うからこれまた尚更。気になってわざわざ引っ張り出してきちゃった。
で、おまけに「節」でしょ。これも重なって「ゲラゲラ」笑っちゃったわけ。これもあなたには分からないかもしれませんが。こういうミスって、絶対にミスじゃないわけ。「知らない」からでしか起きないこと。
だから尚更、「無理しちゃって(笑)」と。

たったこれだけの文章でこの有様でしょ。相当酷い部類ですよ、これ。私なら、この時点で本を閉じるレベル。こういう初歩的な能力がない人は信用ができない。
だからここらへんを華麗にスルーして読めるあたりが、私にはどうなってるんだ?という印象。
著者、編集者、出版社、全員スルーなんだ、と。
小保方論文みたいなもんですよ。なぜ誰も途中で止めれなかった?修正できなかった?ということ。

ま、以上の私の指摘が違うなら教えてください。
私が気になるのは、とにかくこの文語体は一体なんなんだ?ということ。あなたは平気なようだが、私には相当面白い文章なの。もし勘違いだったら逆に私が恥ずかしいわけだけど。
スチムソン日記云々はそれ以前の問題(学問の方法論の話)で言いたいことがありますが、長くなるし私個人ではどっちでもいいので省略。

2014/03/24 (Mon) 23:18 | EDIT | REPLY |   

しばやん  

Re: No title

あなた文語体の文章が全く読めていませんね。そればかりか、過去あなたが書いたことと矛盾する事を平気で書き、私の書いていることもさっぱり理解できていませんね。そんな理解力ではあなたが読者から笑われてしまいますよ。

鳥居氏が文語体で書いたこの文章が、当初の「ポツダム宣言の草案」から抜き取られた「天皇制維持条項」とも言うべき部分です。当時の外交文書は文語体ですから、あなたの読解力ならとても読むことはできないでしょうね。
次のURLに終戦直前に日米両国が取り交わした文書の一部がありますが、あなたは読めるでしょうか。
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/010/010tx.html

冒頭の鳥居氏の引用部分は誰が訳したものかはネットではわかりませんでしたが、英語の原文の訳としては、問題ないと思いますよ。原文が存在する以上、誰が訳したかはそれほど問題ではありません。
ポツダム宣言の外務省訳文がありますが、この第12項の文章の後に、鳥居氏の引用部分が来ても、普通のレベルの人ならあなたのような反応はしないと思います。
http://home.c07.itscom.net/sampei/potsdam/potsdam.html#1p

あなたのようなレベル人とは付き合いたくないので、今後は私からは一切反応しませんし、くだらない文章をまた書いてきたら今後は削除させていただきます。

あなたの今までの書き込みとやりとりは、滑稽なので今後の読者のために残しておきます。恥ずかしくなったら自分で抹消していただいて結構ですよ。
もしまとまった意見をお持ちなら自身のブログでも開設して是非書いてみてください。ご案内いただければ、訪問させていただきます。

2014/03/25 (Tue) 20:32 | EDIT | REPLY |   

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No title

やっぱりこの「ブハッ」のポイントがわからないようで。
悪いけど、わからないってことが答えなんだよ。
これね、口語体なの。
私はね、法律畑で、大審院判例とかさ、明治憲法とか、改正前の刑法(文語体だった)とか、いくらでも口語体を読む機会はあるわけ。日本国憲法も最初の翻訳したGHQ草案とか、3月2日案とかは文語体。ポツダム宣言もご丁寧に示してくれないでも何度も読んでる。「だから」この口語体に違和感をもつわけ。
>次のURLに終戦直前に日米両国が取り交わした文書の一部がありますが、あなたは読めるでしょうか。
多分一般人の数倍スラスラ~と読めますよ。普通の文書を読むのと全く同じスピードで。
自分で書けっていわれても、そりゃギクシャクした文章しかかけないけどね、読むのはいくらでも読めるよ。

逆に聞くけど、「あなたが戦前の文語体」を知らないんでしょ?
これはそういう話なんだよ。
あなたが私より詳しいとは思えないな~、この言ってる意味が分からない時点で。

たとえばね『「維持スルコトガデキルモノトスル』
こういう言い回しがあるかどうか、調べてみなさいよ。ないから(笑)
当時の公文書がなぜ文語体か、もっと究極はなんで帝国憲法がああいった文章になってるのかが君は全然わかってないはずだ。こんなブサイクな文章は文語体ではない。
違うなら違うといってみなさい、きっと心が痛むはずだ。

ま、挑発的な書き方はともかく、どういうことかというと、この鳥居氏のは口語体を自分で「カタカナ」にしちゃってるわけ。そういう文章なの。
こんな無意味な工作をする意味がわからない上に、失敗してるのだから、笑っちゃうって。
最初から普通に口語体で書けばいいもの。
ま、いずれにせよ私が間違ってるなら指摘なり反論なりすればいいじゃない。間違っていれば謝る。が、間違っていないなら、君がその分の恥をかくことになるということだ。

7月2日案にせよ、いろいろ言いたいことはあるわけだけど(この解説だけなら)、まあ入り口(上から読んで数行で)でこれだもの。中に入る以前に。
アスチンあたりは一切端折る当たりの神経もよくわからないし。
このあたりを書くなら、草案がいついつ、どういう状況の時にこういうものがあった、その後こういう展開があってこういう草案になった、さらにその後・・・とかねそういった明白な事実面をしっかり書き、それとは別で、その背景にある「解釈部分」の説明をする、これくらいはやらないと。
学問ってのは反証できる状態で議論をするわけ。一切存在しないよね、この文章には。こういった学問の方法論的な議論にせよ、いろいろあるわけだけど(こっちからの問題の指摘は途中で捨てたままになっちゃったね)、この狭いコメント欄であれこれ長い文章を書くのは難儀だし、興味ないでしょ。ま、これだけの文章でも私からすると相当つっこみたいポイントがあって、それを整理せずごちゃごちゃ書いたわけ。とにかくこういう言い方が癇に障ることをわかってて言うけど(ごめんね)、これじゃギャグにしか見えない。

削除するのは結構。
言うまでもなくあなたのブログですから。
残すのも削除するのもどうぞご自由に。
(なお私は削除する方法もしりませんし、卑怯な匿名での書き込みですから削除する理由もございませんので、いずれにせよ私から削除することはありません)

2014/03/26 (Wed) 00:10 | EDIT | REPLY |   

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