唐崎神社から日吉大社、日吉東照宮を訪ねて
この日吉大社には行ったことがなかったので、滋賀県大津坂本から比叡山延暦寺に向かう日帰り旅行を企画して先日行ってきたのだが、結構見るべきところがあったので、今回はそのレポートをしたい。
車などで行かれる方のために、私が訪れた場所の住所・電話番号などを付記しておく。

最初に訪れたのは唐崎神社(大津市唐崎1-7-1、077-579-8961)である。この神社は日吉大社の摂社で、この場所が室町時代の終わりに選定された「近江八景」の1つになっているので立ち寄ることにした。

上の画像は歌川広重が描いた「近江八景・唐崎夜雨」で、ここに描かれている松は大正10年(1921)に枯れてしまった2代目の松だそうで、今ある3代目の松はやや小振りながら、それでもなかなか見事な枝ぶりである。

松尾芭蕉がこの地を訪れて、「からさきの松は花よりおぼろにて」という句を残していて、松のちかくにその句碑があるが、立派な松の枝ぶりに隠れてしまっていた。

唐崎神社から日吉大社(大津市坂本5-1、077-578-0009)に向かう。
京阪坂本駅の近くに石の鳥居があるが、この鳥居からの参道を日吉馬場と呼ぶのだそうだ。
山川出版社の『滋賀県の歴史散歩』によると、
「参道の両側にたくさんの石灯籠がならんでいるが、これは明治時代初期に廃仏毀釈がこの日吉大社から始まったとき、神社境内から仏教的なものを放り出した名残である。しばらくは乱雑におかれていたが、廃仏毀釈の嵐の静まりとともに、現在のように整然と並べられた」(p.15)とある。

灯籠は仏教の伝来とともに伝わったとされているが、平安時代以降は神社でも用いられており、日吉大社の廃仏毀釈で灯籠までもが「仏教的な」ものとして放り出されたとは知らなかった。
日吉大社には受付が東と西の2箇所あり、どちらから入ってもよかったのだが東受付の近くに駐車して東本宮(ひがしほんぐう)から参拝することにした。日吉大社は、駐車場は無料だが、文化財の維持管理の為に入苑協賛料\300円が必要だ。境内はとても広くて平成18年に歴史的風土特別保存地区に指定されており、国宝に指定されている建物が2棟、国の重要文化財に指定されている建物が17棟も存在するので維持管理費はかなりかかるだろう。

受付を済ませてすぐに見えるのが東本宮の楼門(国重文)である。
織田信長の比叡山焼き討ちで日吉大社も全焼してしまい、現在の建物で国宝や重要文化財に指定されている19棟の建物は、いずれも安土桃山時代以降に再建されたもののようだ。

楼門を過ぎると、右に樹下神社拝殿、左に樹下神社本殿、中央に東本宮拝殿があっていずれも国の重要文化財に指定されている。
廃仏毀釈以前は樹下神社を十禅師、東本宮を二宮とよび、御祭神はそれぞれ大山咋神、鴨玉依姫神で、本殿に本地仏としてそれぞれ地蔵菩薩、薬師如来があったのだが、慶応4年(明治元年、1868)4月に樹下茂国らが主導した廃仏毀釈で、重要な仏像・仏具は持出され徹底的に破壊されてしまった。
十禅師を「樹下神社」と、廃仏毀釈で破壊したリーダー本人の苗字を残しているのだが、日吉大社の由緒にも、大津市教育委員会が設置した案内板の説明にも、どこにも「廃仏毀釈」や「樹下茂国」の記載がないのが気になるところで、おそらくこのよう歴史は参拝者に知らせたくないということだろう。

東本宮拝殿の後方に、国宝の東本宮本殿がある。最近改修されたばかりのようで、朱塗りの欄干が色鮮やかで、檜皮葺の屋根も美しい。
東本宮の参拝を終えて西に進み、途中で奥宮である牛尾神社、三宮神社(いずれも国重文)に向かう石段が見えた。いずれも崖上に建てられていて、琵琶湖の眺めも素晴らしいようなのだが、往復で1時間の急坂は厳しいので今回はカットして、山王鳥居を目指して歩く。
途中に神輿収蔵庫があるが、そこには桃山時代から江戸時代にかけて作られた7基の神輿(いずれも国重文)があり、中に入れば古い神輿を見ることが出来たようだ。日吉大社のお祭りである山王祭は大津祭、長浜曳山祭と並ぶ湖国三大祭の一つで、1300年の歴史があるののだそうだが、ここに収納されている神輿は以前は使われていたが、今では別の神輿が用いられているという。

左に折れて山王鳥居に向かう。
山王鳥居は普通の鳥居の上に三角形の屋根が乗ったような独特な形をしている。この鳥居辺りは紅葉が特に美しく、秋の紅葉シーズンにはライトアップもされるようだ。

上の画像は西本宮の楼門(国重文)。ここをくぐると拝殿(国重文)があり、拝殿の奥には、豊臣秀吉が天正14年(1586)に寄進したと伝えられている西本宮本殿(国宝)がある。

西本宮は天智天皇が大津宮を造営する時に大和の三輪明神(現在の大神[おおみわ]神社:奈良県桜井市)を勧請したと伝えられ、ご祭神は大己貴命(おおなむちのみこと:大国主命)だというが、廃仏毀釈の前にはここに本地仏として釈迦如来が安置されていたのだそうだ。
西本宮の東には豊前の宇佐八幡宮から勧請された宇佐宮本殿及び拝殿(国重文)があり、さらに東には加賀の白山比咩(ひめ)神社から勧請された白山姫神社本殿及び拝殿(国重文)と続く。廃仏毀釈前には本地仏として宇佐宮には阿弥陀如来が、白山姫神社には十一面観音が安置されていたという。

再び山王鳥居をくぐって大宮橋(国重文)という石橋を渡る。そのすぐ近くには、欄干のない走井橋(国重文)がある。上の画像は走井橋から大宮橋を写したものである。このように、残されている建物から神輿まで、多くが国宝や重要文化財に指定されている。
これだけ多数の国宝や重要文化財があれば、もっと観光客が来てもおかしくないと思うのだが、日曜日でこの程度なら文化財の維持管理や境内の清掃などが大変ではないかと心配になってくる。もし、廃仏毀釈で破壊焼却されたいう数千点の仏像・仏具などが残されていたとしたら、国宝級のものが相当あったはずで、この場所が比叡山延暦寺以上に観光客で賑わう場所になっていてもおかしくないのではないかと思う。少なくとも建物については、滋賀県で日吉大社以上に国宝や国の重要文化財の多い寺社は存在しないのだから。
西受付を出て右に折れて、次の目的地である日吉東照宮(大津市坂本4-2-12)に向かう。
日吉東照宮はもともとは延暦寺が管理していたのだが、明治9年(1876)からは日吉大社の末社となって現在に至っている。
建物は国の重要文化財に指定されているのだが、観光客が少ないために、一般に公開されているのは日曜日と祝日の10時から16時だけのようだ。
ここには日吉大社からは歩いて10分ぐらいで辿りつけるが、車で行く場合は「坂本ケーブル乗り場横の橋を渡りすぐ左手にある駐車場」を用いると、正面階段下の観光駐車場から続く長い階段の大半をカットすることが出来る。
日吉東照宮は元和9年(1623)徳川三大将軍家光公の時に、天台宗の大僧正・天海上人によって造営されたのだが、寛永11年(1634)に権現造の様式で改築されている。
ちなみに日光東照宮も元和4年(1618)に社殿が完成した後、寛永13年(1636)に寛永の大造替がはじめられており、その際に、日吉東照宮が日光東照宮の雛形になったと伝えられているようだ。
「東照宮」は東照大権現である徳川家康を祀る神社で、江戸時代には「東照宮」と名の付く建物が500以上建てられたそうだが、現存するのは130社程度なのだそうだ。

上記画像が正面の唐門(国重文)で、周囲を囲む透塀(すかしべい)も国の重要文化財だ。

正面の拝殿(国重文)の彫刻を写してみたものだが、虎が彫られ彩色されていた。徳川家康は寅年生まれなので、どこの地方の東照宮にも虎の彫刻が多いのだという。

拝殿から本殿(国重文)の間に石の間(国重文)があり、石の間が本殿・拝殿よりも数段低くなっている。これは祭典奉仕者が将軍に背を向けて奉仕しても非礼にならない様に配慮されていると説明があった。御祭神は三柱で、中央が徳川家康、向かって右が日吉大神、左が豊臣秀吉なのだそうだ。

内部からは本殿の奥行きがよく分からないので外に出てみると、本殿は想像した以上に大きな建物であった。上の画像は建物を南側の側面から写したものだが、戸が開放されているのが石の間でその奥が本殿である。
建物の外側は雨風に曝されて彩色が一部色落ちしているが、内部の彩色は綺麗に残されている。
規模は日光東照宮とは比べものにならない建物だが、桃山文化を彷彿とさせる歴史的空間で、鳥の囀りを聴きながら説明員の方の話を受け、建物をじっくりと観賞できるという贅沢な時間を過ごすことができた。

唐門を出ると琵琶湖が良く見えた。木々の間から見える山は、近江富士として知られる三上山(みかみやま)である。
日吉東照宮は文化財だけでなく景色も素晴らしいのに、どうしてもっと観光客が来ないのかと不思議に思う場所である。(つづく)
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