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日光の秋を求めて憾満ヶ淵から田母沢御用邸へ~~~日光観光その4

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Category栃木県
日光旅行の初日は、瀧尾神社、四本竜寺、本宮神社、輪王寺、東照宮、二荒山神社、大猷院と周ってきたが、東照宮や大猷院が造営される前の日光を描いた絵はないものかと、ネットで探してみた。
ひと昔前なら、万巻の書を手当たり次第に紐解かなければわからないことが、検索キーワードをいくつか選ぶだけで、ネットで簡単に探すことのできる便利な世の中になっているのはありがたい。

日光山古絵図

日光山輪王寺宝物殿にある、元和3年(1617)に制作された東照宮造営前の日光山を描いた三幅の『日光山古絵図』が見つかった。
中央に三仏堂が大きく描かれ、その隣には三重塔がある。
左幅には中禅寺湖の二荒山神社中宮祠や立木観音等が描かれ、右幅には神橋から四本竜寺、本宮神社。道伝いに観音堂、開山堂があり、その先に瀧尾神社が描かれている。
http://www.rinnoji.or.jp/keidai/homotu/past/109-nikkounokoezu/109-nikkonokoezu.html

廃仏毀釈に詳しいminagaさんのサイトで右幅の大きな画像を見ることができる。開山堂や瀧尾神社の仁王門などの絵は、建物の特徴を良く捉えていて興味深い。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/hoso_nikkosan.htm

nikosan_k01.jpg

この絵を見ると、日光東照宮が造営される以前の日光中心部の観光の中心は、二荒山神社や三仏堂や四本竜寺、本宮神社、開山堂、瀧尾神社であったことが誰でも分かる。前回の記事で書いた、毎年4月に行われる二荒山神社の「弥生祭」の神輿の巡行ルートそのものなのである。一度、「弥生祭」を見てみたいものである。

憾満の路

旅行の二日目の朝を迎えて、いつものように早目に起床して、近くを散歩することにした。
宿の方から教えて頂いたルートで、大日橋という橋を渡って途中から大谷(だいや)川沿いを歩くことになるのだが、このルートも結構見どころがあって楽しめた。
地図は次のURLに詳しく書かれているのが参考になる。
http://www.nikko-kankou.org/pamphlet/pdf/nikko_walking.pdf

日光の紅葉

大日橋を渡って振り返ると、紅葉が綺麗だったので思わずシャッターを押した。バックに見える山は二荒山神社の御神体である男体山である。

しばらくは日光・宇都宮道路沿いを東に進み、途中で左折して大谷川の方向に向かう。

化け地蔵2

川沿いに出ると、江戸時代に慈限大師天海の門弟らが「過去万霊・自己菩提」のために刻んだという、苔むしたお地蔵さんが多数並んでいる。
当初は100体余りあったお地蔵さんは、明治35年(1902)の大洪水のためにいくつかが流出してしまい、現在は74体が残っているだけだという。このお地蔵さんを「並び地蔵」と呼んでいるのだが、数えるたびごとに数が違うので「化け地蔵」とも呼ばれているそうだ。

華厳の滝から流れて来る大谷川の激しい水流が、男体山の溶岩を削って美しい渓谷になっている。このあたりは「憾満ヶ淵(かんまんがふち)」と名付けられ、紅葉の名所なのそうだが、訪れた日は色づき始めたばかりだった。

憾満ヶ淵

憾満ヶ淵は古来不動明王の現われる霊地とされ、東照宮を創建した慈眼大師天海の弟子の晃海大僧正が承応3年(1654)にこの地を開き、慈雲寺を創建して霊庇閣(れいひかく)という護摩壇を建て、天下泰平を祈ったと伝えられている。
霊庇閣は洪水のために流出してしまったらしいのだが、昭和46年(1971)に輪王寺によって復元されたものが建っている。
そしてその霊庇閣の大谷川対岸の岸壁に「カンマン」と梵字が刻まれているらしいのだが、見落としてしまった。その梵字が「憾満(かんまん)ヶ淵」という名の由来で、次のURLに岸壁に刻まれた梵字の写真が出ている。
http://www1.ocn.ne.jp/~mtnikko/kannmann.html

慈雲寺

上の画像は晃海大僧正が創建して阿弥陀如来と慈眼大師天海を祀った慈雲寺である。
当時の建物は、残念ながら明治35年(1902)の洪水時に流出してしまい、現在の本堂は昭和48年(1973)に復元されたものだという。現在は無住の寺になっているが、毎年7月14日に輪王寺により盂蘭盆会(うらぼんえ)の法要が営まれているのだそうだ。

浄光寺

含満大谷橋を渡ると、すぐ近くに浄光寺という天台宗の寺がある。
紅葉が美しかったので立ち寄ったのだが、案内立札を読むと1200年以上の歴史のある寺だという。
ここにはこう書かれていた。
「…日光開山の祖・勝道上人が日光一山の菩提寺として、仏岩(山内)に往生院を創設した。これが浄光寺の起源である。」
 
勝道上人が日光を開山したのは766年(天平神護2年)で、「仏岩」というのは、今回の日光の旅行で最初に訪れた、開山堂の近くにある岩のことである。たまたま立ち寄った浄光寺が、勝道上人と繋がるとは思わなかった。

案内はさらにこう続いていた。歴史のある寺だけあって結構古いものが残されているようである。
「延応2年(1240)には日光山本坊光明院(輪王寺の前身)と同時に、その六供浄光坊が創立され、後に往生院と合併した。寛永17年(1640)に当地に移され、現在はこの地の菩提寺である。本堂は、昭和48年に増改築されたが、内陣は江戸期のものをそのまま残している。本尊は、春日仏師作と伝えられる阿弥陀如来三尊坐像。…」

この浄光寺の境内には長禄3年(1459)の銘のある銅鐘(県文化財)がある。この鐘は、もとは本宮神社に奉納されたもので、銘文には「当将軍源朝臣成氏(しげうじ)公」とかかれており、古賀公方足利成氏を将軍としている点で、歴史資料としても注目されているという。

あまり時間をとるわけにはいかなかったので宿に戻ることにしたが、門前の右には庚申塔がいくつか建てられていて、珍しいのでシャッターを押した。

庚申塔

「庚申塔」は、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔で、日本各地に見ることができる。
「庚申信仰」とはどのようなものかというと、人間の体の中には三尸(さんし)という虫がいて、60日毎に巡ってくる庚申(かのえさる)の日に人々が寝静まった夜、その虫が体内から出てきて天帝にその人の悪行を報告し、怒った天帝はその人を早死にさせてしまう。
そうならないために庚申の日は寝ないで夜通し起きていて、三尸(さんし)が体内から抜け出さないように、この夜を一緒に庚申待を過ごす人たちの集まりを「庚申講(講」と呼ぶそうなのだが、それが平安時代から、2ヶ月に1度の楽しい宴会の日となり、娯楽の乏しかった時代に全国に広がっていったと考えられている。
そして「庚申塔」は江戸時代の寛永期以降に盛んに建てられたのだそうだが、明治政府が庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心に撤去を進め、さらに高度成長期の道路拡張で多くが撤去や移転されてしまって、今では田舎町でしか見ることができなくなってしまっている。
このような「庚申塔」が、1200年以上の歴史を持つ寺の門前に何気なく残されていることが嬉しい。

東照宮や大猷院など権力者が残した豪華絢爛の文化財を観賞できるのも日光の魅力の一つではあるが、山を御神体として崇める地元の人々の信仰により、美しい自然だけでなく古い寺社や石仏が残されて、あちこちで歴史的景観を楽しむことができるところにも、日光の魅力を感じるのである。

40分程度の朝の散歩を終えて宿に戻って朝食をとり、早目にチェックアウトを済ませて、最後の目的地である田母沢御用邸(0288-53-6767)に向かう。

田母沢御用邸御車寄

田母沢御用邸は明治31年(1898)に、皇太子嘉仁親王(よしひとしんのう:後の大正天皇)の静養のため、東京赤坂離宮から紀州徳川家江戸中屋敷の一部を移築して翌年に完成され、その後3度にわたり増改築され、第二次世界大戦後に廃用となるまで大正・昭和の2代の天皇の避暑や明仁親王(今上天皇)・正仁親王(後の常陸宮)の疎開に利用された建物だという。

田母沢御用邸庭

大正時代は御用邸の敷地面積が107,000㎡もあったのだそうだが、戦後に御用邸が廃止となったのち庭園の一部が日光植物園に併合されてしまい、今は39,390㎡が日光田母沢御用邸記念公園となっており、平成19年(2007)に「日本の歴史公園100選」に選ばれている。

田母沢御用邸玉突台

いろんな部屋があるのだが、上の画像は御玉突所。
下の画像は「謁見所」で、大正天皇が公式儀礼で用いられた部屋だという。いずれの部屋も、大正期に増築された部分である。

田母沢御用邸謁見の間

田母沢御用邸内部3

ちょうど秋の特別企画で、江戸時代の「半尻」という公家の装束を着た子供の人形が展示されていた。

田母沢御用邸内部2

田母沢御用邸の部屋の数は106で建築床面積は4,471㎡もあり、とにかく広い。
建物の東側には研修室や研修ホールもあり、こんな贅沢な空間が半日1~2千円程度で借りることができるのは、随分割安だ。
http://www.park-tochigi.com/tamozawa/sisetu/

田母沢御用邸庭2

庭に下りて庭園を散策する予定だったが、部屋を見ているうちに随分時間が経ってしまい、11時に宇都宮で所用があるために、売店でお土産に「御用邸チョコレート」をいくつか買って旅行を切り上げることにした。

実は9年ほど前に日光で宿泊したことがあるのだが、その時は電車とバスを乗り継いで、中禅寺湖と華厳の滝と二社一寺を見ただけで終ってしまった。今回はカーナビのおかげで、随分有意義な旅行が出来たと思う。

日光の観光客の大半は短時間の滞在で、二社一寺の一部を観光するだけで帰ってしまうのだが、日光にはまだまだ見るべきところがある。
読者の皆さんには是非、二社一寺以外の日光をゆっくりと散策していただきたいものである。

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【ご参考】このブログでこんな記事を書いています。良かったら覗いてみてください。
明治の皇室と仏教
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-125.html

寺院が神社に変身した談山神社
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千古の家、丸岡城、東尋坊から芦原温泉へ~~越前カニ旅行1日目その2
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