京都伏見歴史散歩~~御香宮から大倉記念館
前回は寺田屋に行ったことを書いたが、寺田屋の近くには見逃せない観光スポットがいくつかある。
寺田屋が開くのが10時なので、この日は寺田屋を行く前に2か所ばかり観光をしてきた。今回は、私が見学してきた寺田屋近辺の観光地のことを書こう。
最初に訪れたのは御香宮(ごこうのみや)神社である。
平安時代の貞観4年(862)に、この神社の境内から「香」の良い水がわき出たので、清和天皇から「御香宮」との名前を賜ったが、それ以前は「御諸神社」と称していたらしい。
その後豊臣秀吉が伏見城を築城する際に鬼門除けの神として勧請され伏見城内に移されたが、徳川の天下となって家康が慶長10年(1605)に元の位置に戻したそうだ。

上の画像は御香宮神社の表門だが、これは元和8年(1622)に徳川頼房(水戸黄門の父)が伏見城の大手門を拝領して御香宮に寄進したものとされ、国の重要文化財に指定されている。

上の画像は拝殿だが、これは寛永2年(1625)、徳川頼宣(紀州徳川家初代)の寄進によるもので京都府指定文化財である。平成9年に極彩色が復元されて美しく、良く見ると右側に鯉の滝登りが、左側には仙人が描かれている。

本殿は慶長10年(1605)徳川家康の命により建立されたもので、昭和60年に国の重要文化財に指定されている。本殿も平成2年より着手された修理により極彩色が復元され、屋根の桧皮葺も美しい。

本殿の横にこの神社の名前の由来となった「石井の御香水」が湧き出ている。明治以降は涸れてしまっていたらしいが、昭和57年に復元され昭和60年に環境庁により「名水100選」に選定されている。一口飲んでみたが、なかなか美味しい水である。もしここへ来られる場合は、ペットボトルを用意されればよい。もちろん持ち帰りは無料である。
この神社に来られた時に是非立ち寄っていただきたいのが、社務所の奥にある小堀遠州ゆかりの石庭。社務所の座敷に進んで、石庭を眺めながらくこの庭の由来についてのテープの説明を聞いたが、この内容がなかなか面白かった。

小堀遠州は茶人、建築家、作庭家として有名な人物だが、元和9年(1619)に伏見奉行に任ぜられた時に庁舎の新築を命ぜられ、寛永11年(1634)上洛した三代将軍家光を新築の奉行所に迎えた時に、家光は立派な庭に感心して褒美として五千石を加増し、遠州は伏見奉行の庭で出世の糸口を掴んで大名となったという。

ところが伏見奉行所は、明治以降は陸軍工兵隊となり、太平洋戦争後は米軍キャンプ場となってすっかり庭はひどく荒されてしまったそうである。その後昭和32年市営住宅になったのを機に、奉行所の北にある御香宮に庭を移すことになり、中根金作氏(中根造園研究所長)が庭石や藤の木などを移して復元されたものだそうだ。なかなかいい庭で、秋の紅葉時はもっと美しいだろう。

御香宮の境内に「明治維新 伏見の戦跡」と書いた石碑がある。その横に元首相の佐藤栄作が鳥羽伏見の戦いを解説した文章が書かれた案内板がある。
それによるとこの御香宮の東側の台地に薩摩軍の大砲が備え付けられて、鳥羽方面からの砲声を合図に、薩摩軍が伏見奉行所に陣取る新撰組に砲撃を開始したことから鳥羽伏見の戦いが始まったとのことである。
しかし、圧倒的に優勢だったはずの幕府軍がなぜこの戦いに敗れたのか。このテーマはいずれまた書くことにしたい。

御香宮から車で3分も走れば、月桂冠大倉記念館に着く。白壁土蔵の立派な建物が立ち並ぶ街並み自体が素晴らしく、タイムスリップしたような気分になる。

中には、昔の帳場を復元したものや、昔の酒造用具などが展示されている。
入場料は300円だが、お土産にワンカップの特級の日本酒が付いてくる。電車で行けば利き酒コーナーでいろんなお酒が楽しめるのだが、この日は車で行ったので美味しいお酒を飲み損ねてしまった。
伏見のお酒は「御香宮」の名水に代表される地下水が酒造りに最適と言われ、「月桂冠」の他に、「黄桜」、「松竹梅」、「玉乃光」など40近いメーカーがこの近辺にあるそうだ。

大倉記念館のすぐ南に十石船の乗り場がある。春の桜や秋の紅葉の季節は、古い街並みや酒蔵を見ながらの観光は素晴らしいだろう。ブログでいろんな人が感想を書いているので乗ってみたい気持ちもあったのだが、この日はこれから寺田屋に行き、枚方で昼食を予約していたのであきらめた。
大倉記念館から寺田屋へは歩いて5分程度。途中で月桂冠を創業した大倉家の本宅(文政11年[1828]築)や大正8年築の旧本社などを見ることが出来る。
先程の十石船の乗り場を流れる濠川は、大倉記念館の裏を通って寺田屋の近くを流れている。

「都名所図会」の巻之五に「伏見京橋」の絵が載っている。地図を見ると寺田屋からあと80mも西に行けば伏見区京橋町となる。
「都名所図会」が出版されたのは安永9年(1780)で、龍馬がお龍と出会うのは元治元年(1864)だが、当時は物流を船に頼っていた時代である。このような景色は明治になって鉄道網が発達する頃まではあまり変わらずに続いたと思われる。
龍馬が寺田屋に行く時は図会に描かれた中央辺りで船を下り、宿の近くで見た景色はこのようなものであったのだろう。
「都名所図会」の本文にはこう解説されている。
「京橋の辺は、大阪より河瀬を引登る舟着にて、夜の舟昼の舟、あるは都に通ふ高瀬舟、宇治川くだる柴舟、かずくこぞりてかまびすしく、川辺の家には旅客をとゞめ、驚忽なる声を出して饗応けるも、此所の風儀なるべし。」
なんだか、船頭の声や旅館の客引きの声が聞こえてきそうな情景だが、今の観光地よりも昔の方がはるかに活気がありそうだ。
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寺田屋が開くのが10時なので、この日は寺田屋を行く前に2か所ばかり観光をしてきた。今回は、私が見学してきた寺田屋近辺の観光地のことを書こう。
最初に訪れたのは御香宮(ごこうのみや)神社である。
平安時代の貞観4年(862)に、この神社の境内から「香」の良い水がわき出たので、清和天皇から「御香宮」との名前を賜ったが、それ以前は「御諸神社」と称していたらしい。
その後豊臣秀吉が伏見城を築城する際に鬼門除けの神として勧請され伏見城内に移されたが、徳川の天下となって家康が慶長10年(1605)に元の位置に戻したそうだ。

上の画像は御香宮神社の表門だが、これは元和8年(1622)に徳川頼房(水戸黄門の父)が伏見城の大手門を拝領して御香宮に寄進したものとされ、国の重要文化財に指定されている。

上の画像は拝殿だが、これは寛永2年(1625)、徳川頼宣(紀州徳川家初代)の寄進によるもので京都府指定文化財である。平成9年に極彩色が復元されて美しく、良く見ると右側に鯉の滝登りが、左側には仙人が描かれている。

本殿は慶長10年(1605)徳川家康の命により建立されたもので、昭和60年に国の重要文化財に指定されている。本殿も平成2年より着手された修理により極彩色が復元され、屋根の桧皮葺も美しい。

本殿の横にこの神社の名前の由来となった「石井の御香水」が湧き出ている。明治以降は涸れてしまっていたらしいが、昭和57年に復元され昭和60年に環境庁により「名水100選」に選定されている。一口飲んでみたが、なかなか美味しい水である。もしここへ来られる場合は、ペットボトルを用意されればよい。もちろん持ち帰りは無料である。
この神社に来られた時に是非立ち寄っていただきたいのが、社務所の奥にある小堀遠州ゆかりの石庭。社務所の座敷に進んで、石庭を眺めながらくこの庭の由来についてのテープの説明を聞いたが、この内容がなかなか面白かった。

小堀遠州は茶人、建築家、作庭家として有名な人物だが、元和9年(1619)に伏見奉行に任ぜられた時に庁舎の新築を命ぜられ、寛永11年(1634)上洛した三代将軍家光を新築の奉行所に迎えた時に、家光は立派な庭に感心して褒美として五千石を加増し、遠州は伏見奉行の庭で出世の糸口を掴んで大名となったという。

ところが伏見奉行所は、明治以降は陸軍工兵隊となり、太平洋戦争後は米軍キャンプ場となってすっかり庭はひどく荒されてしまったそうである。その後昭和32年市営住宅になったのを機に、奉行所の北にある御香宮に庭を移すことになり、中根金作氏(中根造園研究所長)が庭石や藤の木などを移して復元されたものだそうだ。なかなかいい庭で、秋の紅葉時はもっと美しいだろう。

御香宮の境内に「明治維新 伏見の戦跡」と書いた石碑がある。その横に元首相の佐藤栄作が鳥羽伏見の戦いを解説した文章が書かれた案内板がある。
それによるとこの御香宮の東側の台地に薩摩軍の大砲が備え付けられて、鳥羽方面からの砲声を合図に、薩摩軍が伏見奉行所に陣取る新撰組に砲撃を開始したことから鳥羽伏見の戦いが始まったとのことである。
しかし、圧倒的に優勢だったはずの幕府軍がなぜこの戦いに敗れたのか。このテーマはいずれまた書くことにしたい。

御香宮から車で3分も走れば、月桂冠大倉記念館に着く。白壁土蔵の立派な建物が立ち並ぶ街並み自体が素晴らしく、タイムスリップしたような気分になる。

中には、昔の帳場を復元したものや、昔の酒造用具などが展示されている。
入場料は300円だが、お土産にワンカップの特級の日本酒が付いてくる。電車で行けば利き酒コーナーでいろんなお酒が楽しめるのだが、この日は車で行ったので美味しいお酒を飲み損ねてしまった。
伏見のお酒は「御香宮」の名水に代表される地下水が酒造りに最適と言われ、「月桂冠」の他に、「黄桜」、「松竹梅」、「玉乃光」など40近いメーカーがこの近辺にあるそうだ。

大倉記念館のすぐ南に十石船の乗り場がある。春の桜や秋の紅葉の季節は、古い街並みや酒蔵を見ながらの観光は素晴らしいだろう。ブログでいろんな人が感想を書いているので乗ってみたい気持ちもあったのだが、この日はこれから寺田屋に行き、枚方で昼食を予約していたのであきらめた。
大倉記念館から寺田屋へは歩いて5分程度。途中で月桂冠を創業した大倉家の本宅(文政11年[1828]築)や大正8年築の旧本社などを見ることが出来る。
先程の十石船の乗り場を流れる濠川は、大倉記念館の裏を通って寺田屋の近くを流れている。

「都名所図会」の巻之五に「伏見京橋」の絵が載っている。地図を見ると寺田屋からあと80mも西に行けば伏見区京橋町となる。
「都名所図会」が出版されたのは安永9年(1780)で、龍馬がお龍と出会うのは元治元年(1864)だが、当時は物流を船に頼っていた時代である。このような景色は明治になって鉄道網が発達する頃まではあまり変わらずに続いたと思われる。
龍馬が寺田屋に行く時は図会に描かれた中央辺りで船を下り、宿の近くで見た景色はこのようなものであったのだろう。
「都名所図会」の本文にはこう解説されている。
「京橋の辺は、大阪より河瀬を引登る舟着にて、夜の舟昼の舟、あるは都に通ふ高瀬舟、宇治川くだる柴舟、かずくこぞりてかまびすしく、川辺の家には旅客をとゞめ、驚忽なる声を出して饗応けるも、此所の風儀なるべし。」
なんだか、船頭の声や旅館の客引きの声が聞こえてきそうな情景だが、今の観光地よりも昔の方がはるかに活気がありそうだ。
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