名勝猿尾滝から但馬・丹波の名工の彫刻が残されている古社寺を訪ねて

紅葉の名所としても有名な場所なのだが、訪れた日にはだいぶ落葉が進んでいた。もう数日早く来ていればもっと美しい景色を楽しめただろう。
案内板にはこう書かれていた。
「この滝は『猿尾滝ヒン岩脈』で形成された高さ60メートルの滝です。滝の景観が猿の尾に似ているところから猿尾滝と名付けられました。
ブナ、モミジ、サクラ、ケヤキ、マツなどの自然里と都の調和が美しく、春は新緑の滝、松は納涼の滝、秋は紅葉の滝、冬は氷壁の滝にその姿を変えます。
古くから妙見山名草神社の参道から仰ぐ美しい滝として知られており、村山藩主山名公は『ソーメン流し』を楽しんだと言われています。」
細い道を進んで滝壺に向かう。

滝は二段になっていて、上段の雄滝は水がゴツゴツした岩肌を流れ落ち、下段の滝は岩の割れ目を滑らかに流れ落ちる。
以前は上段の滝壺に繋がる道を歩くことが出来たのだが、3年前の4月に落石があり、それ以降通行禁止が続いているのは残念なことである。

案内板に書かれていた妙見山名草神社(養父市八鹿町石原字妙見1755 ☎079-662-2793)は、以前このブログで紹介したとおり、寛文5年(1665)に島根県の出雲大社から三重塔を譲り受けた頃は日光院という寺院であったのだが、明治の廃仏毀釈で日光院は強制的に名草神社と名前を変えられて、日光院にあった仏像や経典などの寺宝は末寺の成就院(今の日光院のある場所)に運び込まれた。そして出雲大社から譲り受けた塔は今も名草神社の所有とされ国の重要文化財に指定されている。神社の境内に塔があるのは神仏習合の時代は当たりまえのことであったが、明治初期にほとんどが破壊されるか移転されてしまった。現在でも神社の境内に塔が残されている事例は20程度あるのだそうだが、この名草神社の三重塔はなかなか美しいので、時間があれば立ち寄られることをお勧めしたい。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-228.html

猿尾滝から途中で昼食を取り、次の目的地である粟鹿(あわが)神社(朝来市山東町粟鹿2152 ☎079-676-2465)に向かう。
但馬国にはどういうわけか一宮が2つあり、この粟鹿神社も、出石町にある出石神社も丹波国一宮なのだそうだ。
「粟鹿」とは珍しい名前なので調べると、ご祭神の彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)が但馬一帯を平定し、山に登り国見をしていたとき、1頭の鹿があらわれ、口にくわえていた三本の粟を献上したことから、この山を粟鹿山と呼び、山の麓に鎮座する神社を粟鹿神社と呼ぶようになったという。
一説ではこの神社の歴史は2000年以上あるとも言われていて、『古事記』や『日本書紀』よりも古い和銅元年(708)に記された『粟鹿大明神元記』には大国主命を祖とする神直が当社の祭祀を執り行ったとことなどが記されているという。

粟鹿神社は『延喜式』式内社のなかでも社格の高い名神大社(みょうじんたいしゃ)*のひとつで、朝廷の信頼厚く、国家の大難に対して4度の勅使参向があったことが記録に残っているそうだ。上の画像は勅使門で、朝来市指定文化財となっている。
*名神大社:「名神」は神々の中で特に古来より霊験が著しいとされる神に対する称号。

隋神門の随身の背後には木造の狛犬が一対安置されていた。この狛犬の作者や制作年代は不明だが、これも朝来市の指定文化財である。

隋神門をくぐると土俵がある。
本来相撲というものは神に奉納されるものであり、昔は神社の境内に土俵があるのが珍しくなかったかもしれない。相撲の奉納のあるときはこの土俵の周りに多くの人々が集まって神社は賑わったことだろう。

そして土俵のすぐ近くに拝殿がある。
拝殿は、なかなか立派な建物で、その奥に本殿がある。
今回訪問しなかったが、この神社から900mほど奥に當勝(まさかつ)神社(朝来市山東町粟鹿2143 ☎079-676-2199)という神社がある。

この神社も1300年近い歴史のある古い神社で、今の本殿・拝殿は幕末に建てられたものだが、彫刻は中井権次一統の第7代橘正次が手掛けたものらしく、『たっちゃんのフォトライブラリー』の写真を見ると彫刻が豪華で見ごたえがありそうだ。次回来るときは訪れたい場所だ。
http://blog.goo.ne.jp/tachan1go/e/5a3a6e0ae9ba648d7686e289cd1647b0
Wikipediaによると、中井権次一統についてこう記されている。
「丹波柏原藩(兵庫県丹波市)の宮大工、中井道源を初代とし、4代目の言次君音(ごんじきみね)以後、9代目の貞胤まで神社仏閣の彫物師として活躍した中井家の一統。6代目権次正忠より権次を名乗ったことから権次一統と称する。徳川家康お抱えの宮大工で日光東照宮や江戸城を手がけた中井正清(1565~1619)の血筋を引くとの説があるが、出自の詳細は不明。現存する作品は北近畿一円に及ぶ。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%95%E6%A8%A9%E6%AC%A1%E4%B8%80%E7%B5%B1
『中井権次作品集』というホームページに、一統が制作した作品の一部が画像で紹介されているが、一統が手掛けた社寺仏閣の彫刻は丹波、但馬を中心に2百軒以上に及ぶのだという。しかしながら明治初期の廃仏毀釈によって仕事がなくなり、9代目の青竜軒中井貞胤(喜一郎)からは社寺の彫刻には携わっていないのだそうだ。
http://gonji.sub.jp/index.html

粟鹿神社から丹波市に向かい、新井(にい)神社(丹波市柏原町大新屋514-1 ☎0795-72-0950)に車を停める。
案内板にはこう解説されていた。
「欽明期の創建といわれ、『延喜式』に記載されている市内式内社17社のうち1つです。
もともとの祭神は天地創造の神、高皇産霊神とされますが、江戸時代のはじめに比叡山延暦寺の守護神である『日吉大社』の分霊が祀られました。日吉大社は俗に『山王権現』ともよばれ、山王の使者が猿であるところから、本殿(県指定文化財)には中井権次正貞の作による一対の猿の木彫像があります。」

案内板には何も書かれていないが、以前は神仏混淆で神宮寺日吉山王鎮護寺と称する真言宗寺であったという。しかし、明治維新の神仏分離で新井神社の社名に復活したのだそうだ。
上の画像は中井権次一統の6代目の青竜軒中井権次橘正貞の作による猿の彫刻である。

この新井神社のすぐ近くに北山稲荷神社(丹波市柏原町北山190-2)がある。
ここには、この地で石工の技術を磨いた名工・丹波佐吉が彫った石狐があるので立ち寄った。
丹波佐吉は文化13年(1816)に但馬国竹田(現朝来市和田山町竹田)に生まれ、幼くして両親を亡くしたため伯父の家に預けられたのだが、たまたま佐吉が5歳の時にワタリの石工としてこの地を訪れていた難波金兵衛が、佐吉のことを哀れと思いかつ自分に子供がなかったので佐吉を養子としたという。
その後佐吉は、文政5年(1822)に新井村大新屋に居を構えた金兵衛とともに石工の道に精進したが、金兵衛にも子供が出来たこともあり、佐吉は23歳の時に金兵衛の反対を押し切りワタリの石工となり「村上源照信」を名乗ったという。
のちに佐吉が旅職人として大阪で石工をしていたころ、職人同士で技比べをすることになり、佐吉は石で音の鳴る尺八を制作し孝明天皇に献上したところ、天皇から「日本一」と賞賛を賜ったと伝えられている。

佐吉が丹波大新屋に戻って北山稲荷神社の石狐一対を彫ったのは安政5年(1858)で、佐吉は43歳であったという。
この石狐は丹波市指定文化財となっていて、盗難予防のためか金網越しでしか見ることができないのは残念なことだが、細い前脚や耳、口にくわえている玉など、堅い石をこんなにきめ細かく彫り込めるものかと感心してしまった。
彫る技術もさることながら、造形もまた素晴らしく、檻の中に狐がいるのではないかと思えるほどである。
佐吉に石工の技術を伝えた難波金兵衛の六代目の子孫が今も柏原町大新谷で石材店を構えておられるようだ。地図で見ると新井神社や北山稲荷神社の中間地あたりに店や作業場がある。丹波佐吉もこの辺りで作業をしていたのだろうか。
http://www.boseki-sekizai.net/area_detail/sid1216729439-655852.html
北山稲荷神社から4km少し西に行くと、丹波佐吉の最高傑作とされる狛犬が安置されている柏原八幡神社がある。

以前にこのブログでも紹介したが、この神社の境内のなかに堂々と三重塔が残されている。上の画像は鳥居の正面から拝殿を撮ったものだが、本殿の奥に三重塔の屋根が見えているのがわかっていただけるだろうか。そして拝殿の手前の狛犬一対が丹波市指定文化財の丹波佐吉の代表作である。

この狛犬は文久元年(1861)、佐吉が46歳の時に制作されたもので、台石の彫刻文字「奉献」は筑前福岡出身の女儒学者 ・亀井小栞の揮毫なのだそうだ。

近くで見ると電動器具が無い時代に、どうやってこんなに細かい彫り方が出来たのかと感心する。狛犬の頭部や尾には豊かな体毛が渦を巻き、体毛の少ない部分はヤスリで削ったかのようになめらかで自然な曲線が美しく、しかも脚の指には尖った爪先までしっかり彫られているのがすごいのである。
佐吉はこの狛犬一対を完成させたのち丹波を去り、6年後に再び戻ってきたときには不治の病に侵されていたそうだ。慶応2年(1866)に一体の不動明王像を完成させると、佐吉は人知れず丹波の地を去り、その後もどってくることはなかったという。

この柏原八幡神社は文化財の宝庫で、社殿は国指定重要文化財であり、三重塔と銅鐘は兵庫県指定文化財である。

運よく紅葉も見頃を迎えていて、朱塗りの塔も美しかった。
この三重塔は戦国時代に焼失後、文化10年(1813)に再建されたものだが、この再建に関わった彫刻師に青龍軒中井丈五郎正忠・倅中井権次正貞、中井徳治正義、岩吉の名が記録されているという。中井権次正貞はさきほど紹介した新井神社の猿の木彫り像を制作した人物である。
またこの神社の拝殿・本殿の彫刻も拝殿の中の木造の狛犬も中井権次正貞によるもので、次のURLで、作品の画像を見ることができる。
http://gonji.sub.jp/kaibaratixyou-3/kaibaratixyou-3.html
当時のわが国の最高レベルの名工が但馬・丹波を中心に活動していて、各地にその作品を残したということなのだが、こういう旅行をしていると、昔は地方が今よりもはるかに豊かであったことがみえてくる。
以前は地域における経済循環が成り立っていてそれなりに豊かな生活があったのだが、次第に規制緩和が進んでボーダーレスとなり、いつの間にか地方は都会資本の大手企業に席巻されて都会の経済循環の中に取り込まれてしまった感がある。
地域の文化や伝統はその地域経済の豊かさによって長い間支えられてきたのだが、都会資本の企業に商圏が奪われて多くの商店や製造業者は廃業して若い人の働く場が失われ、農家は農産物を大手流通に買いたたかれて、零細農家は厳しい生活を余儀なくされることとなる。若い世代は地元を離れて、都会に出たまま戻ってこない。
このような流れを放置したままでは、過去から素晴らしい文化や伝統を承継してきた地域は、先祖が大切にしてきた価値あるものをどうやって後世に残すことができるのだろうか。
また数百年の歴史を持ち貴重な文化財を残している古社寺も、このまま檀家や氏子が減っていっては、建物を維持することすら厳しくならざるを得ない。
この流れを止めるためには、今までとは違う発想が必要だと思う。
国にせよ県にせよ市町村にせよ、伝統的文化財の修復の為にある程度の資金支援はしてきたものの、その文化財を活かして観光需要を高める努力は不充分であったと言わざるを得ない。歴史ツアーなどのイベントを企画して、観光客を増やすことに知恵をしぼる努力をもっとすべきではないだろうか。文化財は宝の山であるという発想が今までは欠落してはいなかったか。
但馬や丹波には、観光地としての知名度は低くとも、素晴らしい文化や伝統が残されており、歴史的にも興味深い地域が少なくない。これだけの文化財が古いままの姿で残っており食べるものも美味しくて安いのだから、もっと観光客を呼び込めてもおかしくないと思う。

【但馬牛専門店の太田家和田山店】
私はこの地域に来ると、但馬牛や野菜を買い込むことにしているのだが、この地域に限らず、田舎で新鮮な地元の生産物を買うことは旅行の楽しみの一つでもある。
私ができることは旅先でわずかばかりの買い物をして、こんな旅行の記事をブログに書いて読者に伝えることぐらいなのだが、少しでも多くの人にこの地方の歴史や伝統や文化に興味を持っていただけたらと思う。
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【ご参考】
本文にも書きましたが、明治初期の廃仏毀釈で神社の境内にあった仏教施設は破壊されるか移転されましたが、一部の神社で塔が残されています。
香住から但馬妙見山の紅葉と朱塗りの三重塔を訪ねて~~香住カニ旅行2
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-228.html
日本百名城の一つである小諸城址から龍岡城跡、新海三社神社を訪ねて
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-401.html
白馬落倉高原の風切地蔵、若一王子神社、国宝・仁科神明宮などを訪ねて
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-404.html
寺院が神社に変身した談山神社
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-78.html
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