「国生み神話」ゆかりの神社を訪ねて、昼は鱧料理のフルコース~淡路島文化探訪の旅2
高校時代に日本神話を学んだときは、史実でもない作り話にほとんど関心を持たなかったが、この歳になって実際に「古事記」や「日本書記」を読んでみると、結構面白いのだ。
「国生み神話」は「古事記」と「日本書紀」とは微妙に異なるところがあるが、たとえば「古事記」にはこのように書かれている。
「そこで天の神様方の仰せで、伊耶那岐の命(いざなきのみこと)・伊耶那美の命(いざなみのみこと)お二方に、『この漂っている国を整えてしっかりと作り固めよ』とて、りっぱな矛(ほこ)をお授けになって仰せつけられました。それでこのお二方の神様は天からの階段にお立ちになって、その矛をさしおろして下の世界をかき廻され、海水を音を立ててかき廻して引きあげられた時に、矛の先から滴る海水が積もってできた島が淤能碁呂(おのごろ)島です。その島にお降りになって、大きな柱を建て、大きな御殿をお建てになりました。」(新訂「古事記」:武田祐吉訳 角川ソフィア文庫p.209)

「…そこで伊耶那岐の命が仰せられるには、『わたしのからだは、できあがって、でき過ぎた所が一か所ある。だからわたしのでき過ぎた所をあなたのでききらない所にさして国を生み出そうと思うがどうだろう』と仰せられたので、伊耶那美の命が『それがよいでしょう』とお答えになりました。そこで伊耶那岐の命が『それならわたしとあなたが、この太い柱を廻りあって、結婚をしよう』と仰せられてこのように約束して仰せられるには『あなたは右からお廻りなさい。わたしは左から廻ってあいましょう』と約束してお廻りになる時に、伊耶那美の命が『ほんとうに立派な青年ですね』といわれ、その後で伊耶那岐の命が『ほんとうに美しいお嬢さんですね』といわれました。それぞれ言い終わってから、その女神に『女が先に言ったのはよろしくない』とおっしゃいましたが、しかし結婚をして、これによって御子水蛭子をお生みになりました。この子は葦の船に乗せて流してしまいました。次に淡島をお生みになりました。これも御子の数にははいりません。」(同書p.210)
「かくてお二方でご相談になって、『今わたしたちの生んだ子がよくない。これは天の神様のところへ行って申し上げよう』と仰せられて、ご一緒に天に上って天の神様の仰せをお受けになりました。そこで天の神様の…仰せられるには、『それは女の方が先に物を言ったので良くなかったのです。帰り降って改めて言いなおした方が良い。』と仰せられました。そういうわけで今度は伊耶那岐の命がまず『ほんとうに美しいお嬢さんですね』とおっしゃって、後に伊耶那美の命が『ほんとうにりっぱな青年ですね』と仰せられました。かように言い終わって結婚をなさって御子の淡路の穂の狭別(さわけ)の島をお生みになりました。…」(同書p.210)
この「淡路の穂の狭別の島」が現在の淡路島で、伊耶那岐と伊耶那美は続いて伊予の二名の島(四国)、隠岐の三子の島(隠岐)、筑紫の島(九州)、壱岐、対馬、佐渡、大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま:本州)を生んでいくのだ。

キリスト教の世界では神が天地を創造し、アダムを創造したのだが、アダムが一人でさびしそうにしているので神が、アダムを慰めるためにアダムの肋骨からイブを作ったとしている。
いずれも作り話なのでとうでもいいと考える人が多いとは思うのだが、国民の誰もが子供のころから知っているような宗教や神話のストーリーが、男女の関係についての考え方に与える影響が小さいはずがないのではないかと思う。
日本神話では男神と女神とが共同ですべてを創造し男神がリードしながらも男女が相互補完する関係を描いているが、キリスト教の男女の関係は圧倒的に男性優位の描き方のように思える。日本では紫式部や清少納言らが活躍していた時代に、キリスト教世界では女性で活躍した人物が誰もいないのは、旧約聖書における男女観と無関係ではないように思うのだ。
淡路島の旅行の話に戻そう。前回は弘仁10年(820)に弘法大師が伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)の鎮護の寺として開祖した東山寺(とうさんじ)の仏像のことを書いた。
東山寺の次の目的地は「伊弉諾神宮」だ。
「日本書記」によると、国生みの大業を成し遂げた伊弉那岐が、御子神である天照大御神に国家統治を任せて、淡路の地に幽宮(かくれみや)を構えて余生を過ごしたことが記されている。その場所が「伊弉諾神宮」なのだそうだ。
Wikipediaによると、この神社は古代には淡路島神、津名神、多賀明神などと呼ばれていたのだそうだが、正式に「伊弉諾神宮」と言われるようになったのはいつ頃のことなのか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%BC%89%E8%AB%BE%E7%A5%9E%E5%AE%AE

上の画像が「伊弉諾神宮」の鳥居だが、淡路国一宮だけのことはあって想像していた以上に大きな神社だった。

上の画像は本殿で、明治15年(1882)に建築されたものだ。

境内には樹齢900年の「夫婦大楠」がある。これは2株の樹木が、成長するにつれて合体して1株になったというもので、兵庫県の天然記念物に指定されている。
最初に紹介した「国生み神話」の最初のところで矛の先から滴る海水が積もってできた「淤能碁呂(おのごろ)島」という島があった。この島がどこにあったかは諸説があるようだ。

上の画像は、南あわじ市榎列(えなみ)の自凝島神社(おのころじまじんじゃ)の大きな鳥居だ。この鳥居は厳島神社、平安神宮の鳥居とともに日本三大鳥居のうちの一つとされているそうだが、社殿はけっして大きなものではなかった。
「古事記」や「日本書記」を普通に読むと、「淤能碁呂(おのごろ)島」は「淡路島」と別の島のはずなのになぜここが「淤能碁呂島」なのかと思うのだが、南あわじ市のHPによると、「数千年前の縄文時代には、三原平野の低い所が入江であった(縄文海進)とされていることから、また、水辺に群生する葦が最近まで島の北部一帯に広がっていたことからも、むかしは、海の中に浮かぶ小島であったと考えられて」いるのだそうだ。
http://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/index/page/61d5bb170f81649594fa7a7e9ee37f16/
淡路島の南に沼島(ぬしま)という小さな島があり、この島が「淤能碁呂島」という説もある。この島に渡るとここにも「おのころ神社」があるそうだが、一日10便の船で渡るのは諦めた。

この時期(6-8月)の沼島は鱧料理が有名だ。自宅にあった「るるぶ淡路島」に沼島の鱧を料理してくれる「文治」というお店が福良にあることが載っていたので昼食の予約をしていたが、この時期はさすがに満席だった。

鱧料理と言っても、いままでは「湯引き」したものを梅肉や三杯酢で食べたことしかなかったが、朝まで生きていた新鮮な鱧で作った鱧のあぶり、鱧の湯引き、鱧のてんぷら、鱧すき、特性のダシで煮込む鱧すきとその後の福良産のそうめんなど、何を食べても旨かった。写真の左の器にあるのは鱧の肝と卵だが、この味が忘れられないのでまた行くことになりそうだ。
<つづく>
*****************************************************************
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。よろしければ、この応援ボタンをクリックしていただくと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をかけて申し訳ありません。
↓ ↓




- 関連記事
-
-
丹波に秋の味覚を求めて~~丹波栗の歴史と生産農家の危機 2010/10/20
-
丹波篠山の重要文化財・天然記念物を訪ねて~~磯宮八幡宮と大国寺 2010/10/26
-
龍野公園と龍野城の桜を楽しむ 2011/04/13
-
淡路島の東山寺に残された石清水八幡宮護国寺の仏像を訪ねて~~淡路島文化探訪の旅1 2011/06/07
-
「国生み神話」ゆかりの神社を訪ねて、昼は鱧料理のフルコース~淡路島文化探訪の旅2 2011/06/11
-
淡路人形浄瑠璃と高田屋嘉兵衛と淡路特産玉葱の「七宝大甘」~~淡路島文化探訪の旅3 2011/06/17
-
丹波古刹の「もみじめぐり」から香住へ~~香住カニ旅行1 2012/11/13
-
香住から但馬妙見山の紅葉と朱塗りの三重塔を訪ねて~~香住カニ旅行2 2012/11/17
-
「天空の城」竹田城を訪ねて~~香住カニ旅行3 2012/11/22
-
紅葉の名所・養父神社と香住の帝釈寺を訪ねて 2013/12/01
-
但馬安国寺の紅葉と柏原八幡神社の神仏習合の風景などを訪ねて 2013/12/06
-
播磨の国宝寺院の神仏習合の景観を楽しんで~~朝光寺・浄土寺 2014/11/26
-
素晴らしい紅葉の国宝寺院・一乗寺から日本海へ 2014/11/30
-
柴山漁港の競りを見学のあと出石神社、宗鏡寺の紅葉を楽しむ 2014/12/06
-
出石散策の後、紅葉の美しい国宝・太山寺へ 2014/12/11
-