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現存する唯一の忍術屋敷を訪ねて~~甲賀歴史散策その1

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Category滋賀県
滋賀県の甲賀と言えば「忍びの里」を思い浮かべる程度だったのだが、調べてみるとこの地域には貴重な文化財や伝統文化が残されているのに興味を覚えて、週末に日帰りで甲賀市の名所旧跡を巡って来た。

甲賀流忍者屋敷

最初に訪れたのは『甲賀流忍術屋敷』(甲賀市甲南町竜法師2331 ☏0748-86-2179)で、この住居は甲賀忍者であった望月出雲守の旧宅であり、現存する唯一の忍術屋敷だという。

外見は一般的な平屋の日本建築で元禄時代に建てられた住居なのだが、内部は三階になっていて、随所に様々な工夫が凝らされている。そのような仕掛けのある住居であることを知られずに長い間使われてきたそうだが、昭和30年の調査により、紛れもなく本物の忍術屋敷であることが認定されたという。

忍術屋敷 門

この屋敷の面白さは、ガイドさんの説明を聞けばよくわかる。説明時間は約30分程度で1時間に1度は必ず説明しておられるのでその話は必ず聞いて帰るべきである。
待ち時間が15分程度だったので、ビデオ映像を見た後、手裏剣投げ(8投\300)が面白そうなのでチャレンジしてみた。
建物の外に出るとゴルフの練習で使うようなネットがあり、親指と人差し指で手裏剣を持って、中央の的をめがけて回転を入れて投げるのだが、ボールを投げるよりかはコントロールがかなり難しい。座敷で甲賀忍者秘伝の「健保茶」を飲みながら待っていると、ガイドさんの解説の案内があり、資料室に向かう。

ガイドさんの説明中は一切の撮影や録音が禁じられているので、屋敷のカラクリについて読者の方に詳しくお伝えすることが出来ないが、どんでん返しや隠し梯子、落とし穴や地下道など、侵入してきた敵から身を護るために様々な仕掛けがされていて、忍者衣装を着たガイドさんの説明が非常にわかりやすく、大人も子供も結構楽しめるのでお勧めしたいスポットである。

甲賀流忍者屋敷 からくり

上の画像は説明の後で撮影を許された落とし穴だが、どんでん返しの板壁の隣の部屋は簡単に床板を外すことが出来、床下はこのように深い穴になっている。どんでん返しの板壁は、180度回転すると同じ方向には回らない仕組みになっているので、敵はそのことが気付くまで何度も同じ方向に板壁を動かそうとするが動かない。ようやく反対側が回ることが気付いた時には、隣部屋の床板が外されていて床下の穴に落ちざるを得ない。
この穴は3mの深さがあるので侵入してきた敵は脱出することが出来ず簡単につかまってしまう。
あるいは自らこの穴に入り、床板を元に戻して、横穴を通って隣の同族の屋敷に逃げることも可能になっているという。

忍術屋敷2階

上の画像は隠し階段を上って到達する二階の部屋だが、天井が低いので普通の長い刀は振り下ろせない。2階に隠してある短刀を用いて戦うことも可能だし、3階に上って縄梯子で1階に行くことも可能だ。

手裏剣

ガイドさんの説明のあとは自由に撮影が可能となり、資料室の展示物などを見学する。
資料室には忍者が実際に使っていた手裏剣、撒き菱、忍法書、薬や火薬を作る道具などが展示されているほか、甲賀忍者の歴史や望月氏の歴史などが詳しく解説されていて結構読み応えがある。

仕込み杖、脇差鉄砲

ビデオやガイドさんの解説で、「甲賀」を「こうか」と読んでいることに途中で気が付いて、なぜ「こうが」と言わないのか気になっていたのだが、展示室に次のように解説されていて納得した。
「甲賀は古くは鹿深、甲可、甲香などと記されて『かふか』と呼ばれていたため、現在でも『賀』は濁らずに『こうか』と地元の人々は発音している。」

忍者の衣装など

資料室の解説などを参考に、簡単に甲賀の歴史を振り返っておこう。

甲賀は、東は鈴鹿山脈、西は笠木山脈にはさまれた山間の地にあり、京都・奈良の都に近いことから軍事的要衝の地として何度も戦禍を受けてきたために、武士だけでなく住民たちも自衛力を養ってきた歴史がある。
そして、長亨元年(1487)に『鈎(まがり)の陣』の戦いがおこり、その戦いがきっかけとなって、甲賀地域の武士たちが『忍者(しのびのもの)』と呼ばれるようになったという。では、この『鈎の陣』の戦いとはどのような戦いであったのか。資料室の解説にはこう記されていた。

足利義尚
【足利義尚】

「当時、実力にものをいわせていた社寺や公卿の荘園を横領して、幕府の命令を無視した六角政頼、高頼父子を討伐するために、足利9代将軍義尚は諸国の大名を率いて長亨元年9月に大津の坂本に本営をおき、六角氏の本城である観音寺城を攻め、六角氏は甲賀城に逃れた。
 10月になって、義尚は本営を坂本から栗太郡の鈎(現栗東市)の安養寺に移し、甲賀城を攻めて落城させた。六角氏は姿を消し、甲賀山中でゲリラ戦を展開した。この戦いは、将軍義尚が鈎の陣屋で延徳元年(1489)に死ぬまで3年近く続き、足利将軍の権威をかけたものだったが、逆に甲賀武士(甲賀忍者集団)の活躍ぶりを全国に知らせる結果となり、それ以後一躍日本の歴史に登場するようになった。
 この戦いで甲賀武士は将軍の本陣に度々夜襲をかけ火を放ち、義尚を困らせた。それに参加した甲賀武士を甲賀武士五十三家、その中でも特に功績のあったものを甲賀武士二十一家という(諸説あり)。その中でも望月出雲守は、自由自在に煙を操って敵を悩ませた。そのおかげもあり、近江の守護として六角氏は四百年近く蒲生郡安土城(現近江八幡市)の観音寺城を居城として、近江の南半分を支配した。」

室町幕府が六角高頼と戦ったのは長享元年(1487)と延徳3年(1491)の2度あり、総称して「長享・延徳の乱」と呼ばれているが、1度目の戦いで幕府軍は近江国栗田郡鈎(滋賀県栗東市)に陣を張ったことから、「鈎の陣」とも称されている。
この解説にあるように、六角氏は甲賀武士の支援によって命拾いをしたのだが、その後永禄11年(1568)に六角義賢は織田信長との戦いに敗れ、観音寺城を去ることとなる。六角氏が敗れたのは、この戦いで甲賀武士たちが六角氏を支援しなかったことが大きかったというのだが、再び資料室の解説版の文章を紹介しよう。

「実は、その裏面で家康が動いたと言われている。家康は早くから忍者たちに目を付け、永禄元年には伊賀忍者70名、甲賀忍者200名を雇い入れていたという。信長の義賢攻めに甲賀忍者が動かなかったのは、家康の手がのびて、義賢に加担しないことを条件に、甲賀攻めを回避したからだといわれている。かくして、天正2年(1574)、六角義賢は敗れ、天正9年(1581)に、信長は安土城に4万6千の大軍を集め、そして全滅作戦『天正伊賀の乱』を決行し、神社仏閣はもとより民衆もことごとく焼き払った。

以前このブログで、天正10年6月に本能寺で信長の接待を受ける予定であった徳川家康は、「本能寺の変」を知り、わずか34名の供回りで堺から三河まで戻ることために伊賀者らの援助を得たことが記録されていることを書いた(「神君伊賀越え」)。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-100.html

服部半蔵
【服部半蔵】

7年前にこの記事を書いたときは、家康一行を警護したのは服部半蔵ら伊賀者が中心だと理解していたのだが、実は多くの甲賀者も家康の警護に関わったようだ。
解説版にはこう記されている。

甲賀武士の好意的な援護を受け、宇治田原から信楽へ入り、信楽小川の城主で甲賀武士五十三家の一人である多羅尾家で一泊した。その先は服部半蔵らの伊賀武士等に守られ伊賀から加太(かぶと)越えし、伊勢の白子浜に着き、そこから海路で本拠三河まで危うく逃れることが出来た。」

Wikipediaには200人の甲賀武士が加太峠までの伊勢路を警護したという説が紹介されているのだが、信楽からは伊賀武士が中心になって家康を警護したとする資料室の解説とどちらが正しいかはよくわからない。いずれにせよ、家康がこの時の警護に感謝して、江戸開幕後に伊賀武士と甲賀武士を江戸に呼び寄せたことは史実である。解説版にはこう記されている。

伊賀の服部半蔵は、江戸麹町(現千代田区)に屋敷を与えられ、伊賀同心の頭目となった。
 いまに残る半蔵門は、彼の屋敷前にあった。神田に甲賀町(現千代田区)、四谷に伊賀町(現新宿区)、麻生に笄(こうがい)町(現港区)と名が示すように、甲賀忍者・伊賀忍者が多く住んでいたのである
。」
江戸に移り住んだ甲賀忍者たちは江戸城本丸と大手三門の警備、大名の諜報、鉄砲隊などを任されていたのだそうだ。

ではこの忍術屋敷を建てた望月出雲守とはどのような人物であったのか。
望月出雲守は甲賀五十三家の筆頭格で、昔は「伊賀の服部、甲賀の望月」と称されるほど大きな勢力を持っていた人物で、特に霧を自由自在に操る術に長けていたという。

薬と甲賀忍者

資料室の解説にはこう記されている。
「望月氏は、名前を本実坊といい、山伏姿で神社の御守り札を持ち、そして薬を売り歩きながら情報収集に務めた。伊勢の朝熊山の明王院の御札と万金丹を売り歩き、加持祈祷をして回るなど、お札くばりで生計を立てていたのである。
 明治17年、配札禁止令が出た後、薬の配置販売という甲賀売薬の先駆者となった。」
そして明治35年に、同志と共に近江製剤株式会社を創立したという。
この忍術屋敷は、現在は近江製剤株式会社の名義になっているのだそうだ。

近江製剤株式会社

近江製剤の会社プレートが展示されていたが、トレードマークは望月氏の家紋である九曜をベースにして、中央に「本」と彫られている。

話を甲賀忍術に戻そう。甲賀忍術は何のために考案されたものなのだろうか。
この施設のパネルにその解答が記されていた。
甲賀流とは『忍術とは国家を安平にして大敵悪党を滅ぼすの術なり』と要約されているが郡内の地勢は丘陵が起伏し、低地には農耕地があって、勤勉に耕せば住民は常に安楽に生活することが出来たのである。また郡内には甲賀五十三家と謂われる豪士が住んでいて、郡の指導的な役割を果たしていたのであるが、自救自衛の精神から、常によく団結し、事ある時には、断固として外敵を排除する目的を以て常に野外に忍者を派遣したり、…防御兵器として当時としては実に驚嘆に値する大器等を秘密裏に用意し、優れた戦法によって完全防衛の体制を整えていた。これを甲賀流と謂ったのである。
 だから甲賀流は侵略的な考えから行われたのではないのであって、平和を害する外敵に対して敢然として制圧を加えるために行われたものであった。」

萬川集海

資料室に展示されていた『萬川集海』という忍術の秘伝書(延宝4年[1676]編纂)には、忍術というものは使い方を誤ると、世の中を乱し、人道に背くことがありうるのだが、その様な行為を戒め、心の持ち方などの精神面の修養が大切とのことが書かれていた。

甲賀忍者は、「平和を害する外敵」に敢然と立ち向かい制圧を加えることによって、平和を実現しようとしたのだが、今のわが国にはその姿勢が欠けている。
わが国の周囲には平和を害しようとする国や、難癖をつけてはわが国の富や領土や資源を奪い取ろうとする国、明らかに人道に背く行為を行っている厄介な国が存在する。それらの国が、わが国において様々な工作活動を行っていることは、今の大手マスコミやそれに連動する勢力の動きを見れば明らかであろう。このような工作活動を野放図にして、これからもわが国の平和が守れるとは思えない。
どんな国でも、国家の安全保障や国益を脅かすスパイに対しては厳罰で臨むのが普通だが、わが国は世界で唯一「スパイ防止法」がない国であるために、スパイ行為を取り締まることが出来ないし、独自で海外の情報を集める能力も弱い。
まずは、「スパイ天国」と呼ばれているわが国の現状にメスを入れて、「平和を害する外敵」やそれに協力するメンバーを取り締まることができる普通の国にして欲しいものである。

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3Comments

つねまる  

甲賀好きです

こんにちは。ご無沙汰しております。

しばやん様が甲賀に着目されてとても嬉しいです!

甲賀忍術屋敷をお調べになってるので、国指定史跡の「甲賀郡中惣遺跡群」(寺前城・村雨城・新宮城・新宮支城・竹中城)にも何らかの形で触れられたかと存じますが、全国屈指の高さの土塁を持つこの城跡群はしばやん様に是非とも見ていただきたいです。

甲賀五十三家に繋がるものとして、油日神社に代表されるこの地域の宮座の構成とその建造物があります。私はほんとにこの甲賀は奥深くて面白い地域だと思います。

拙ブログでは四年前の記事になっておりますが、それ以降もふらっとドライブして、土のお城を眺めたあとに通りすがりの神社やお寺を訪問して、幸せいっぱいな休日をこの界隈で過ごしてます。

甲賀市自身も自身の価値を熟知しており、甲賀市史は読み物としても楽しめますよー。

紅葉狩りの季節の神社やお寺は混雑すること痛々しい限りですが、信楽、水口、甲賀では誰に邪魔されることなく自分の好きなものを好きなように味わうことができます。しばやん様にもぜひ堪能していただきたいです。

2018/10/18 (Thu) 22:55 | EDIT | REPLY |   
しばやん

しばやん  

Re: 甲賀好きです

つねまるさん、お久しぶりです。コメント頂き感謝です。

甲賀ははじめてで、また日帰り旅行だったので、古い寺や神社を巡ってきましたがとても楽しかったです。
つねまるさんは紅葉の季節に訪問されたのですね。紅葉を楽しむとすると、この地域の秋の味覚が楽しめなくなると考えて、食べる方を優先してしまいました。次回に書きますが、お寺もなかなかいいですよ。

「甲賀郡中惣遺跡群」のことは不勉強で知りませんでした。つねまるさんのお勧めの場所は、今度の滋賀の旅行で行ってみたいです。滋賀は文化財が豊富にあるのですが、つねまるさんのご指摘の通りで、観光客が少ないので、好きなだけ味わえますね。

2018/10/18 (Thu) 23:39 | EDIT | REPLY |   

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2018/10/30 (Tue) 11:06 | EDIT | REPLY |   

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