Welcome to my blog

甲賀の総社・油日神社、平安仏の宝庫・櫟野寺などを訪ねて~~甲賀歴史散策その2

0 0
Category滋賀県
甲賀流忍術屋敷を楽しんだのち、油日(あぶらひ)神社(甲賀市甲賀町油日1042 ☏ 0748-88-2106)に向かう。

この神社は、平安時代に編纂された『日本三代実録』に、陽成天皇の元慶元年(877)に従五位下の神階を授けられたとの記録が残されている古社で、神社の東に聳える油日岳をご神体とし、油の神様として崇敬を集めてきたばかりではなく、「甲賀の総社」として甲賀武士の結束の中心であったという。

油日神社楼門

両脇に石垣が積まれた参道を進むと、永禄9年に建造された楼門と廻廊(ともに国重文)があり、いずれも檜皮葺の美しい建物である。

油日神社拝殿

楼門を入ると桃山時代に建てられた檜皮葺の拝殿(国重文)があり、その奥の一段高い玉垣には、明応2年に建てられた本殿(国重文)が立ち並んでいる。この神社は映画やテレビドラマのロケなどでよく利用されてきたそうだが、確かにこの神社の境内は、古い建物が古いままに美しく残されていて、なんとなくタイムスリップしたような気分になる場所である。

油日神社本殿

また本殿の左手前には、樹齢750年、樹高35m、幹回り6.5mのコウヤマキが聳えていて、滋賀県の自然記念物に指定されている。コウヤマキは高野山に群生しているが、これほどの巨木は高野山にはないのだという。

油日神社鐘楼

この神社は、明治の神仏分離によって『油日神社』という名前に変わったのだが、以前は『油日大明神社』と呼ばれていて、神仏習合の施設であった。神社の西鳥居の近くには鐘楼が今も残されており、神仏習合の時代の風景を彷彿とさせる。

油日祭 奴振

この神社の例大祭(油日まつり)は毎年5月1日に行われ、滋賀県無形民俗文化財に指定されている「奴振(やっこぶり)」 が5年に1度だけ行われるのだという。上の画像は駐車場に掲示されていた、「奴振」の写真であるが、次回の奴振りは2021年に行われる計算になる。

楼門の右手奥に甲賀歴史民俗資料館がある。
小さな資料館ではあるが、油日まつりの絵図や甲賀忍者の資料、永正5年(1508)に制作された福大夫面(県文化財)、油日神社改修時の棟札、神仏分離前に用いられていた大きな懸仏(かけぼとけ)などが展示されていてが結構見ごたえがあった。仏像の行方が気になったのでスタッフの方に尋ねると、近隣にある櫟野寺(らくやじ)などに移されたのではないかということであった。

油日神社から櫟野寺(甲賀市甲賀町櫟野1359 ☏ 0748-88-3890)に向かう。車で5分程度で到着する。

櫟野寺仁王門

上の画像は櫟野寺の仁王門だが、仁王像の前に国旗が掲揚されているのは、秘仏である本尊・木造十一面観音座像の三十三年に一度の御開帳が始まっていることによる。

櫟野寺本堂

上の画像は本堂で、その奥に宝物館があるのだが、中に入ると、最初に御開帳の本尊の大きさに圧倒されてしまった。平安時代に制作されとは思えないほど保存状態は良好で、目鼻立ちがはっきりしていて、穏やかな表情に引き込まれてしまった。
十一面観音で座像は珍しいのだが、座像でありながら像の高さは3.12mもある。お寺の方の説明によると、本尊は櫟(いちい)の一木造であり、しかも櫟の木は幹の直径が1m程度のものが多く、こんなに大きな木になることは珍しいのだそうだ。

kaityou01.jpg

宝物館にはほかにも貴重な仏像が数多く安置されていて、本尊を含めて20体もの平安時代の仏像が国の重要文化財に指定されている。そして、これらの平安仏が昨年の本堂改修時に寺外に持ち出されて、東京博物館で特別展『平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち』が開かれ、入場者が20万人を超えたのだそうだ。東京国立博物館のHPに、櫟野寺の平安仏の一部が画像付きで紹介されているが、この中に、神仏分離の際に『油日大明神社』から移された仏像があるのだろうか。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1779#top

いずれも見ごたえのある仏像ばかりであるので、もし櫟野寺に行かれるなら、木造十一面観音座像の御開帳が行われる12月9日(日)までに拝観されることをお勧めしたい。

しかしながら、なぜ櫟野寺に20体もの貴重な仏像が集まったであろうか。
膳所藩士・寒川辰清が享保19年(1733)に完成させた『近江国輿地志略』には櫟野寺についてこう解説されている。
「櫟野村にあり。本尊観音。相伝、伝教大使櫟の生樹を以、観音の像を彫刻す。脇侍は薬師・地蔵・釈迦及び田村麿の像あり。天台宗。比叡山延暦寺の末寺なり。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879446/26
同じコマ番号の40ページにある「油日大明神社」と比べれば、随分簡単に記されているが、この解説を読めば、櫟野寺に古くからあった仏像は5体程度で、他の仏像は神仏分離以降に神社や廃寺などから集められたか買われたと考えるしかないだろう。

以前このブログで、滋賀県は京都・奈良に次いで仏教文化財の宝庫であることを書いたことがあるが、なかでも甲賀市には多くの貴重な仏像が残されている地域である。
櫟野寺のパンフレットによると、甲賀市には国の重要文化財に指定されている仏像は約50件あり、県・市指定のものを含めると100件を超えるのだそうだ。櫟野寺以外にも国重要文化財に指定されている貴重な仏像が30体も残されているなら、また機会を作って甲賀の仏像をゆっくり巡りたいものである。

阿弥陀寺

上の画像は、櫟野寺の300mほど東にある阿弥陀寺(甲賀市甲賀町櫟野1172 ☏ 0748-88-3721)である。櫟野寺の末寺の1つなのだが、この寺の本尊・木造阿弥陀如来坐像も脇壇にある木造聖観音立像も平安仏で国の重要文化財である。この寺には他にも貴重な仏像が残されているようだが、拝観には事前の予約が必要なようだ。

阿弥陀寺から大鳥神社(甲賀市甲賀町鳥居野783 ☏0748-88-2008)に向かう。
この神社も昔は神仏習合の施設で、油日神社と同様に明治初期に名称が変えられたのだが、それ以前は河合祇園社・大原谷の祇園社・牛頭大明神河合社牛頭天王などと呼ばれていたようだ。そしてこの神社は、甲賀武士大原氏の氏神として信仰を集めたという。

大鳥神社のHPにその由緒が書かれている。
「陽成天皇の元慶六年(882)平安初期に伊賀国阿拝郡河合郷篠山嶽より大原中に勧請され、その後当地に移し祀られ、その当時は比叡山延暦寺の別坊が36院あったといわれ大原山河合寺と称され祭礼は坂本の日吉神社に準じていたと伝えられているが、大原祗園は神輿渡御に用いる千枚張に記されているとおり応永22年(1415)に始まったとされる。
 また、織豊時代に入っては社号を河合祗園社とも大原谷の祗園社とも称し牛頭大明神河合社牛頭天王といわれ現在でも氏子の人々から(てんのうさん)とも呼ばれ親しまれている。」
http://ootorijinjya.jp/html/000.html

案内板の解説では河合寺は神仏分離後廃寺になったと書かれていたが、大鳥神社のホームページによると、河合寺はその後も50年近く残されていたようである。ホームページには次のように解説されていて河合寺の仏像も櫟野寺に移されたことが明記されている。

「当神社の宮寺で当神社の勧請と同じころ円仁の開基と伝えられる。幕末まで神社と一体で運営されていたが、明治元年に神仏分離令で廃寺となる。建物等は大正5年の神社火災類焼によって焼失した。再建されずに仏像等は櫟野寺に移管された。」
http://ootorijinjya.jp/html/002-2.html

大正5年(1916)の火災はかなり大規模なものであり、大鳥神社の本殿を残して拝殿の一部と楼門、回廊、神楽殿、社務所、河合寺を消失してしまったのだそうだ。そして大鳥神社は、大正9年(1920)に氏子の総意の力で復興したのだが、立派な建物が建てられて、7棟(楼門・拝殿・神楽殿・神饌所・中門・祝詞殿・社務所)が平成14年(2002)に国登録有形文化財となっている。

大鳥神社

上の画像は鳥居と朱塗りの楼門だが、この楼門は京都の八坂神社の楼門を模して造られたものだという。

大鳥神社 拝殿

上の画像は拝殿だが、檜皮葺の屋根の軒反りが美しい。下の画像は中門、祝詞殿と本殿である。

大鳥神社 祝詞殿 本殿

神社のホームページには、河合寺は焼失したが再建されることなく、仏像は櫟野寺に移されたことが淡々と記されているのだが、河合寺が廃寺であったなら、誰が大きな仏像を火災から守ったのであろうか。明治初期に全国で激しい廃仏毀釈の動きがあり、多くの仏像が破壊されたり海外に売却された中で、甲賀の人々は貴重な仏像を守るために大変苦労されたと思うのだが、もしその様な記録が残されているのであれば、是非読んでみたいものである。

大鳥神社 大原祇園

ところで、大鳥神社には「大原祇園祭」という夏祭りがある。毎年7月23日に『宵宮祭』、24日に『本祭』が行われるのだそうだが、日程が似ているので京都の祇園祭のようなものか思うと内容は全く異なっていて、結構荒々しいお祭りである。

https://www.youtube.com/watch?v=2VXm2UVLuto
宵宮には、夜の9時から各集落の踊り番が紙で作られた祠形の灯篭を頭上に載せ、拝殿の前で輪を作り、「インヨーソーライ」の掛け声を繰り返しながら、互いに灯篭を激しくぶつけ合う。

https://www.youtube.com/watch?v=aDzYBr23OJY
本祭には各集落の太鼓を持った踊り子、花蓋(はながさ)、青竹を持った神輿担ぎが楼門の外に集まり、子どもたちは本殿や拝殿の前で、太鼓や鼓を叩きながら輪になってまわり、「インヨーソーライ」の掛け声とともに、輪の中心で太鼓や鼓をぶつけ合う。
楼門の外では、青竹を持った大勢の大人が2列になって並び、その間を2人が花蓋をもって駆けていくところを、花蓋が青竹によって激しく叩かれて倒されると、見物している人々が花を奪い合う『花奪(はなば)い』が行われる。説明するより動画で観た方がわかりやすいので、興味のある方には6年前の祭りのkyuta27さんの動画を見て頂きたい。
昔から、神花とよばれる花蓋の飾り花を家に持ち帰り神棚に飾ると疫病を免れると信じられていて、花の奪い合いが行われることとなり「喧嘩祭り」とも呼ばれるはその奪い合いの激しさからである。

https://www.youtube.com/watch?v=E6GXz_8Wrok
調べると『花奪い』行事は、岐阜県郡上市白鳥町長滝138にあるの長滝白山神社でも行われている。この行事は毎年正月6日に行われる「六日祭」の中で行われるのだが、6メートルの高さに吊るされた5つの花笠を人梯子を組んで落として花を奪い合う行事もなかなか面白そうだ。上の動画は8年前にChannelGoovieさんが紹介されているものである。

私ももうすぐ65歳となるのでそろそろ会社勤めを辞めて、自分の好きなことをしたいと考えているのだが、地方の面白そうな伝統行事や伝統芸能などを見て歩くことは、今後楽しみにしていることのひとつである。
読者の皆さんが薦めたい地方の伝統行事などがあれば、ご教示していただくと有難い。定年後もいろいろやることがあるのとお金もないので、思うようにはいかないかもしれないが、長期計画を組んでいろんな祭りなどを見て廻りたいと考えている。

**************************************************************
ブログパーツ

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。よろしければ、この応援ボタンをクリックしていただくと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をかけて申し訳ありません。
    ↓ ↓         


にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



このエントリーをはてなブックマークに追加

【ご参考】
このブログでこんな記事を書いてきました。興味のある方は覗いてみてください。

松尾芭蕉と河合曾良の『奥の細道』の旅の謎を追う
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-356.html

家康の生涯最大の危機と言われた「神君伊賀越え」の物語は真実か~~本能寺の変4
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-100.html

誰が安土城を焼失させたのか~~安土城跡と近隣散策記
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-467.html

本ブログの今月の個別記事アクセスランキング 上位500(今月1日からの集計値)
http://pranking12.ziyu.net/html/shibayan1954.html









関連記事
甲賀油日神社櫟野寺大鳥神社神仏分離
  • B!

0Comments

Add your comment