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大日本帝国憲法が発布された日に初代文部大臣・森有禮が暗殺された事情

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Category文明開化とその反動
森有禮(もり ありのり)は弘化四年(1847年)に薩摩国鹿児島城下に生まれ、元治元年(1864年)より藩の洋学校である開成所で英学講義を受講し、翌年には薩摩藩の第一次英国留学生として五代友厚らとともにイギリスに渡っている。その後ロシアやアメリカを訪れて見聞を広め、明治維新後に帰国すると、福沢諭吉、西周、中村正直、加藤弘之らとともに明六社を結成し、『明六雑誌』を創刊して民衆の啓蒙活動に取り組んだ。

森有禮1871
森有禮

森有禮は、明六社のメンバーの中でも特に西欧文明に傾倒した人物として知られ、明治六年(1873年)刊行の英文著作『日本の教育(Education in Japan)』の序文には、わが国の近代化を進めていく上で日本の言語は廃棄されるべきとの趣旨を述べている。

該当部分の原文と訳文が、一橋大学の国語外国化論のWebページに出ている。訳文のみを紹介させていただく。
http://www.lib.hit-u.ac.jp/service/tenji/eu-lang/kokugo.html

「日本における近代文明の歩みはすでに国民の内奥に達している。その歩みにつきしたがう英語は、日本語と中国語の両方の使用を抑えつつある。〔……〕このような状況で、けっしてわれわれの列島の外では用いられることのない、われわれの貧しい言語は、英語の支配に服すべき運命を定められている。とりわけ、蒸気や電気の力がこの国にあまねくひろがりつつある時代にはそうである。知識の追求に余念のないわれわれ知的民族は、西洋の学問、芸術、宗教という貴重な宝庫から主要な真理を獲得しようと努力するにあたって、コミュニケーションの脆弱で不確実な媒体にたよることはできない。日本の言語によっては国家の法律をけっして保持することができない。あらゆる理由が、その使用の廃棄の道を示唆している。」

外国語を日本の国語にせよという議論は森が最初に主張したものだが、森の主張には現代日本人にとっても過激と思われるものが少なくなく、『明六雑誌』に彼が数回に分けて寄稿した『妻妾論』もその一つである。

「……道の未だ明かならざるや、強は弱を圧し、智は愚を欺き、是れ乃ち蛮族の常にして、殊にその見るに忍びざる者は、夫たる者の其妻を虐待するの状なり。我邦俗苟(いやしく)も夫婦の交義其間に行はるあるに非ずして、其実其夫たる者は殆ど奴隷もちの主人にて、其妻たる者は恰も売身の奴隷に異ならず、夫の令する所は敢て其理非を問ふことを得ず、唯命是れ従ふを以て妻の職分とす。故に旦暮奔走従事身心両ながら夫の使役に供し、殆ど生霊なき者の如くす。然るにもし夫の意に充たざるが如き、則ち叱咤殴撃漫罵蹴踏、其の所為実に言ふに忍びざる者間々多し。女子は素々忍耐を性とするに由り、悖逆(はいぎゃく:正しい道に背くこと)斯の如きも未だ以て深く怨を懐くに至らず。……」(『明六雑誌』第十五号)

明治初期に、わが国の一般の男性がここまで暴虐な存在であったとはとても思えないのだが、森は『妻妾論』で日本の妻妾同居や家父長制的家族制度を批判し、西洋のように一夫一婦制が自然でありかつ夫婦は平等であるべきことを説いたのである。

森有礼のハイカラ結婚式

森は明治八年(1875年)に、福沢諭吉を証人として広瀬阿常との結婚に際して、婚姻契約書に署名して結婚している。その契約は3条からなり、それぞれが妻、夫であること、破棄しない限り互いに敬い愛すこと、共有物については双方の同意なしに賃借売買しないこと、という程度の内容であるが、これがわが国最初の契約結婚と言われている。
当時の新聞は、27歳であった森の結婚式を大きな紙面で報じており、例えば2月7日付の東京日日新聞では次のように記事を締め括っている。

「…主人が主人なれば御客も御客で、皆西洋開化の御連中ゆえ、大得意で歓を尽されたり。嗚呼盛なり男女同権の論かな、美なり開化の御婚礼かなと、千秋万歳の千箱の玉を奉る代りに、此記事を書いて御披露奉る。」

このように随分話題になった結婚披露宴を挙行した二人であったのだが、その後の二人の仲は長くは続かず、明治十九年(1886)に二人は離婚したという。離婚当時の森有禮は第一次伊藤内閣の文部大臣であった。

森有禮暗殺事件

その森文部大臣が、明治二十二年(1889年)二月十一日、大日本帝国憲法発布の式典に参加するために官邸を出た時に、国粋主義者・西野文太郎に短刀で脇腹を刺されて翌日死去する事件が起きている。上の画像は、この事件に関する東京日日新聞の記事が掲載されている『新聞集成明治編年史. 第七卷』p.228である。

西野が懐に入れていた斬奸趣意書の全文が、昭和8年に出版された坂井邦夫の著書に出ている。
「…文部大臣森有禮之(伊勢神宮)に参詣し勅禁を犯して靴を脱せず殿に昇り杖を以て神簾を揚げその中を窺い膜拝せずして出づ。是れ其無礼亡状豈に啻に神明を褻涜せしのみならんや。実に又皇室を蔑如せしものと謂つべし。…」(『明治暗殺史 : 新聞を中心として』p.182)とある。

森有禮暗殺の原因

新聞はこの西野の斬奸趣意書に書かれている内容について、目撃者の確認が取れたとの記事が2月24日付の東京日日新聞に出ており、『新聞集成明治編年史 第7巻』p.238に掲載されている。

それによると森文部大臣は明治20年12月に三重県知事らとともに伊勢神宮の外宮を訪れ、禰宜より社殿の案内を受けたが、靴を履いたまま前に進んで、皇族以外は入内を禁じられている御門扉の御帳を右手のステッキで持ち上げたという。そのあと内宮も参拝する予定であったが大臣は行かなかったとある。この話を聞いて西野が激怒したのである。
上の画像の記事の右の「西野文太郎 今や人気の中心」という見出しの記事が出ている。
暗殺犯に人気が集まったというのだが、それほど欧化主義者の文部大臣は、大衆から支持されていなかったと理解するしかないだろう。

ベルツ
【エルヴィン・フォン・ベルツ】

この時期にお雇い外国人として招かれたエルヴィン・フォン・ベルツが、2月16日付の日記の中に森文部大臣の暗殺事件について感想を記している。

「森文相は、一年前、伊勢の大神宮に参拝した時、クツのまま最も神聖な場所にはいろうとして、しかも、そこにかかっていたみすを、皇族でなければ揚げることが許されないにもかかわらず、ステッキ(!)で持ち上げたという理由で、暗殺されたのであった。もし森が真実そういう行為に出たのであれば――それは彼のやりそうなことだが――文相たるものが、国民の宗教的感情をかくも傷つけるという非常な無分別さを、少なくとも表明したことになる。他方、神道が犯人西野のような狂信者を生んだ事実に、だれもが驚いている。」(岩波文庫『ベルツの日記(上)』p.136-137)

このようにベルツは、森文部大臣の行為を批判しているが、『ベルツの日記』には欧化主義者たちが推進した盲目的な西洋文化導入に批判的な文章がある。



「…ヨーロッパ文化のあらゆる成果をそのままこの国へ持って来て植えつけるのではなく、まず日本文化の所産に属するすべての貴重なものを検討し、これを、あまりにも早急に変化した現在と将来の要求に、ことさらゆっくりと、しかも慎重に適応させることが必要です。
 ところが――なんと不思議な事には――現代の日本人たちはそれを恥じてさえいます。『いや、何もかもすっかり野蛮なものでした[言葉そのまま!]』とわたしに厳命したものがあるかと思うと、またあるものは、わたしが日本の歴史について質問したとき、きっぱりと『われわれには歴史はありません、われわれの歴史は今からやっと始まるのです』と断言しました。なかには、そんな質問に戸惑いの苦笑を浮かべていましたが、わたしが本心から興味を持っていることに気がついて、ようやく態度を改めるものもありました。
 こんな現象はもちろん今日では、昨日の事がらいっさいに対する最も急激な反動からくるのであることはわかりますが、しかし、日々の交際でひどく人の気持ちを不快にする現象です。それに、その国土の人たちが固有の文化をかように軽視すれば、かえって外人のあいだで信望を博することにもなりません。これら新日本のひとびとにとっては常に、自己の古い文化の真に合理的なものよりも、どんなに不合理でも新しい制度をほめてもらう方が、はるかに大きい関心事なのです。」(同上書 p.47-48)

いつの時代もどこの国でも、極端な考え方で政策が推進されていくと、その反動も大きくなりがちである。明治時代の文明開化は近代化が進んだ半面で伝統的社会秩序を動揺させて社会不安をもたらし、各地で士族の反乱が起き農民一揆が頻発した。明治二十年代に国粋主義が広がったのは、極端な欧化主義の反動であったと言われている。西野のような狂信者が生まれたのは、外国人のベルツでさえ問題視していた欧化主義の行き過ぎがその一因となったというわけである。過激化するのは、いつの時代もどこの国でも、言いたいことが言えずにフラストレーションを溜めた側だと言って良い。

戦後のわが国も欧米文化に憧れて、固有の伝統文化や歴史的景観を軽視する時代がずいぶん長く続いたのだが、最近では日本を訪れる日本好きの外国人が急増したことや、アメリカで近現代史の見直しの動きが出て来て、わが国でも保守派がネットを中心に積極的に発言するようになってかなり流れが変わってきたようだ。これから過激化する注意が必要なのは、急激に影響力が低下して焦っている国内外の反日勢力側ではないだろうか。
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