桜の咲く季節に奥州平泉の中尊寺、毛越寺、達谷窟、巌美渓を訪ねて
伊丹空港からいわて花巻空港に行き、レンタカーを借りて岩手県を旅行してきた。
最初に向かったのは中尊寺である。
後三年の役(1083~87年)で清原氏が滅んだのち、藤原清衡は奥州平泉に拠点を移して奥羽を支配し、前九年の役(1051~1062年)から続いた奥羽の戦乱の犠牲者を弔うために、平泉に大規模な寺院の造営に着手した。
清衡は長治2年(1105)に多宝寺を建立し、続いて釈迦堂、天治元年(1124年)には金色堂を建立し、大治元年(1126年)に中尊寺と称することとなった。以後二代基衡・三代秀衡により堂宇が整えられ、『吾妻鏡』によると、寺塔四十余宇、禅坊三百余宇と記されている。
しかしながら、奥州藤原氏滅亡後はこの寺は衰微し、建武四年(1337年)には火災のために、金色堂と経蔵を除く堂宇を焼失してしまう。その後江戸時代に仙台藩の保護等により復興し、現在に至っている。

杉の巨木が林立する月見坂の坂道を登っていくと、前九年の役で源頼義・義家が祈願したという八幡堂や、弁慶像を安置する弁慶堂などがある。坂を登りきると右手に本坊が見えてくる。本坊表門は江戸時代初期のものだという。

上の画像は本坊で、丁度桜が満開だった。この建物は明治四十二年(1909年)に再建されたものである。

本坊からさらに進むと峯薬師堂、大日堂、旧鐘楼、讃衡蔵(宝物館)があり、讃衡蔵の隣に国宝の金色堂が収められている覆堂(おおいどう)がある。
讃衡蔵には中尊寺所蔵の国宝や重要文化財などが数多く収蔵・公開されており、奥州藤原氏の栄華を伝えている。金色堂の中央壇には藤原清衡、西南壇には藤原基衡、西北壇には藤原秀衡のものと伝えられる棺が納められているという。讃衡蔵と金色堂は有料で内部の撮影は禁じられているために、画像で紹介することができないのは残念である。

金色堂の覆堂を出て左に進むと中尊寺経蔵(国重文)がある。かつては茅葺きであったが、昭和二十五年に銅版葺に改められたそうだ。かつてはここに国宝の紺紙金字一切経が収められていたという。

さらに進むと、昭和四十年まで金色堂を護っていた、旧覆堂(国重文)がある。内部には柱も梁もない簡素な建物である。

釈迦堂を北に進むと白山神社能舞台(国重文)がある。この建物は嘉永六年(1853年)に仙台藩主伊達慶邦(よしくに)によって再建されたもので、毎年八月十四日にこの場所で薪能が催されるのだそうだ。

上の画像は弁財天堂で、現在の建物は正徳六年(1716年)に建立されたものだという。このあたりの桜が美しかった。

中尊寺から毛越寺(もおつじ)に向かう。
『吾妻鏡』によると、藤原清衡が建てた中尊寺を凌ぐ規模であったようだが、何度か火災に遭ったために今は古い建物は存在せず、境内が国特別史跡に指定され、庭園が国特別名勝とされている。

本殿は平成元年に建立されたもので、平安時代に制作された薬師如来が安置されている。

庭園はかなり広く、中央に大泉が池という大きな池がある。その周囲には嘉祥寺跡、講堂跡、金堂跡があり礎石が残されている。

大泉が池に水を取り入れるための遺構も残されていて、毎年五月の第四日曜日に、ここに盃を浮かべてゆるやかな流れに合わせて和歌を詠む、平安時代の曲水の宴(ごくすいのえん)が再現されるのだそうだ。

その近くにある常行堂は享保十七年(1732年)に仙台藩五代藩主・伊達吉村が再建したものだとある。毎年正月二十日に古式常行三昧の修法が行われ、国の重要無形民俗文化財である「延年の舞」が奉納されるという。

次に西光寺境内にある達谷窟(たっこくのいわや)に向かう。西光寺の桜が満開であったのでカメラに収める。

国史跡の達谷窟はこの鳥居の奥にあるのだが、寺に鳥居が残されているのは神仏習合の昔のままなのだろう。

岩窟の前面に京都清水寺の舞台のような毘沙門堂が建っている。この場所は蝦夷の首長・悪路王(あくろおう)と赤頭(あかがしら)、高丸(たかまる)らが砦を構えていたとされ、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征伐の記念としてここに造営したと伝えられている。

毘沙門堂の左の岸壁には大日如来の摩崖仏が刻まれている。達谷窟のリーフレットによると顔の長さは十二尺(約3.6m)、肩幅は三十三尺(約9.9m)で、全国で五指に入る大きさだという。
せっかく達谷窟まで来たので、近くの巌美渓(げんびけい)に向かう。

巌美渓は栗駒山を水源とする磐井川の浸食によって形成された渓谷で、ダイナミックな景観が約2キロメートルにわたって続いており、国の名勝及び天然記念物に指定されている。

夕方に訪れたので逆光になってしまったが、午前中ならもっといい画像が撮れたと思う。巌美渓は桜の名所としても有名だが、川沿いの桜が満開を迎えていたのはラッキーだった。
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4月1日から、このブログで書いてきた記事の一部を書きまとめた新著が発売されています。
内容について簡単にコメントすると、大航海時代にスペインやポルトガルがわが国に接近し、わが国をキリスト教化し植民地化とするための布石を着々と打っていったのですが、わが国はいかにしてその動きを止めたのかについて、戦後のわが国では封印されている事実を掘り起こしていきながら説き明かしていく内容です。
無名のライターゆえ、一般書店ではあまり置いて頂いていません。
アマゾンにも2件書評が入っていますが、4/25に「るびりん書林」さんからも書評を頂きました。ご購入検討の際の参考にしてください。
https://rubyring-books.site/2019/04/25/post-1099/
また『美風庵だより 幻の花散りぬ一輪冬日の中』となりいうブログでも採り上げていただきました。
https://bifum.hatenadiary.jp/entry/20190426/1556208000
おかげさまでこの本は売れており、先日に増刷されてようやく入手困難な状況が解消しました。本の注文をされた方には、長い間ご迷惑をおかけしてして申し訳ございませんでした。これからは、店頭在庫のない一般店舗でもネットショップでも、取り寄せして頂ければ必ず手に入りますので、よろしくお願いいたします。。
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大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか
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最初に向かったのは中尊寺である。
後三年の役(1083~87年)で清原氏が滅んだのち、藤原清衡は奥州平泉に拠点を移して奥羽を支配し、前九年の役(1051~1062年)から続いた奥羽の戦乱の犠牲者を弔うために、平泉に大規模な寺院の造営に着手した。
清衡は長治2年(1105)に多宝寺を建立し、続いて釈迦堂、天治元年(1124年)には金色堂を建立し、大治元年(1126年)に中尊寺と称することとなった。以後二代基衡・三代秀衡により堂宇が整えられ、『吾妻鏡』によると、寺塔四十余宇、禅坊三百余宇と記されている。
しかしながら、奥州藤原氏滅亡後はこの寺は衰微し、建武四年(1337年)には火災のために、金色堂と経蔵を除く堂宇を焼失してしまう。その後江戸時代に仙台藩の保護等により復興し、現在に至っている。

杉の巨木が林立する月見坂の坂道を登っていくと、前九年の役で源頼義・義家が祈願したという八幡堂や、弁慶像を安置する弁慶堂などがある。坂を登りきると右手に本坊が見えてくる。本坊表門は江戸時代初期のものだという。

上の画像は本坊で、丁度桜が満開だった。この建物は明治四十二年(1909年)に再建されたものである。

本坊からさらに進むと峯薬師堂、大日堂、旧鐘楼、讃衡蔵(宝物館)があり、讃衡蔵の隣に国宝の金色堂が収められている覆堂(おおいどう)がある。
讃衡蔵には中尊寺所蔵の国宝や重要文化財などが数多く収蔵・公開されており、奥州藤原氏の栄華を伝えている。金色堂の中央壇には藤原清衡、西南壇には藤原基衡、西北壇には藤原秀衡のものと伝えられる棺が納められているという。讃衡蔵と金色堂は有料で内部の撮影は禁じられているために、画像で紹介することができないのは残念である。

金色堂の覆堂を出て左に進むと中尊寺経蔵(国重文)がある。かつては茅葺きであったが、昭和二十五年に銅版葺に改められたそうだ。かつてはここに国宝の紺紙金字一切経が収められていたという。

さらに進むと、昭和四十年まで金色堂を護っていた、旧覆堂(国重文)がある。内部には柱も梁もない簡素な建物である。

釈迦堂を北に進むと白山神社能舞台(国重文)がある。この建物は嘉永六年(1853年)に仙台藩主伊達慶邦(よしくに)によって再建されたもので、毎年八月十四日にこの場所で薪能が催されるのだそうだ。

上の画像は弁財天堂で、現在の建物は正徳六年(1716年)に建立されたものだという。このあたりの桜が美しかった。

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『吾妻鏡』によると、藤原清衡が建てた中尊寺を凌ぐ規模であったようだが、何度か火災に遭ったために今は古い建物は存在せず、境内が国特別史跡に指定され、庭園が国特別名勝とされている。

本殿は平成元年に建立されたもので、平安時代に制作された薬師如来が安置されている。

庭園はかなり広く、中央に大泉が池という大きな池がある。その周囲には嘉祥寺跡、講堂跡、金堂跡があり礎石が残されている。

大泉が池に水を取り入れるための遺構も残されていて、毎年五月の第四日曜日に、ここに盃を浮かべてゆるやかな流れに合わせて和歌を詠む、平安時代の曲水の宴(ごくすいのえん)が再現されるのだそうだ。

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次に西光寺境内にある達谷窟(たっこくのいわや)に向かう。西光寺の桜が満開であったのでカメラに収める。

国史跡の達谷窟はこの鳥居の奥にあるのだが、寺に鳥居が残されているのは神仏習合の昔のままなのだろう。

岩窟の前面に京都清水寺の舞台のような毘沙門堂が建っている。この場所は蝦夷の首長・悪路王(あくろおう)と赤頭(あかがしら)、高丸(たかまる)らが砦を構えていたとされ、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征伐の記念としてここに造営したと伝えられている。

毘沙門堂の左の岸壁には大日如来の摩崖仏が刻まれている。達谷窟のリーフレットによると顔の長さは十二尺(約3.6m)、肩幅は三十三尺(約9.9m)で、全国で五指に入る大きさだという。
せっかく達谷窟まで来たので、近くの巌美渓(げんびけい)に向かう。

巌美渓は栗駒山を水源とする磐井川の浸食によって形成された渓谷で、ダイナミックな景観が約2キロメートルにわたって続いており、国の名勝及び天然記念物に指定されている。

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